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御書に見る「成仏を約束された人々」15

 投稿者:サム  投稿日:2017年 6月20日(火)21時53分14秒
編集済
  御書に見る「成仏を約束された人々」15

妙心尼・高橋六郎入道の妻・持妙尼・窪尼御前

日蓮大聖人の檀徒として純真に信心に励んだ婦人で、標記の名称はすべて同一人物であるとの説がある。即ち妙心尼は、由比入道の娘で日興上人の叔母に該当し、かつ高橋六郎兵衛の室となり夫が病気中(建治元年7月頃)に尼となって妙心と称し、夫の死後(建治3年11月)幼少の一人娘を連れて、生家の西山・由比家に帰り、窪(静岡県富士郡芝川町大久保)に住して法号を持妙と大聖人から頂き、人々から窪尼御前と尊称されたと云われている。


「おさなき人の御ために御まほりさづけまいらせ候、この御まほりは法華経のちのかんじん一切経のげんもくにて候、たとへば天には日月・地には大王・人には心・たからの中には如意宝珠のたま・いえにははしらのやうなる事にて候。このまんだらを身にたもちぬれば王を武士のまほるがごとく・子ををやのあいするがごとく・いをの水をたのむがごとく草木のあめをねがうがごとく・とりの木をたのむがごとく・一切の仏神等のあつまり・まほり昼夜に・かげのごとく・まほらせ給う法にて候、よくよく御信用あるべし」(妙心尼御前御返事、御本尊護持事1477頁)建治元年8月 54歳御作
通解:あなたの幼子の為に御守り御本尊を授けて上げましょう。この御本尊は法華経の肝心であり、一切経の眼目です。例えば天には日月、地には大王、人には心、宝の中では如意宝珠、家では柱の様なものです。この曼荼羅を身に持てば、王が武士を護る様に、子が親を愛する様に、魚が水を頼みとする様に、草木が雨を願う様に、鳥が木を頼みとする様に、一切の仏・神等が集って、昼夜にわたって影の様に護られるでしょう。よくよく御信用ください。
※大聖人は、法華経の肝心たる御本尊を妙心尼の幼子に授けられ、御本尊を深く信ずる様に勧められている。


「人の死ぬる事は・やまひにはよらず・当時のゆきつしまのものどもは病なけれども・みなみなむこ人に一時に・うちころされぬ・病あれば死ぬべしといふ事不定なり、又このやまひは仏の御はからひか・そのゆへは浄名経・涅槃経には病ある人仏になるべきよしとかれて候、病によりて道心はをこり候なり」(妙心尼御前御返事1479-80頁)弘安元年8月 57歳御作
通解:人が死ぬのは、必ずしも病によるのではありません。当時の壱岐・対馬の人達は皆、蒙古軍に一時に打ち殺されてしまいました。病になったから必ず死ぬとは限っていません。また、この病は仏の御計らいなのでしょうか。その理由は浄名経・涅槃経には「病がある人は仏に成る」と説かれているからです。病によって仏道を求める心が起こるのです。
※人の死は、必ずしも病によるのではなく、「病によって仏道を求める心が起こる」とあります。


「さるは木をたのむ・魚は水をたのむ・女人はおとこをたのむ・わかれのをしきゆへにかみをそり・そでをすみにそめぬ、いかでか十方の仏もあはれませ給はざるべき、法華経もすてさせ給うべきとたのませ給え」(妙心尼御前御返事、病之良薬御書1480頁)弘安元年8月 57歳御作
通解:猿は木を頼りにし、魚は水を頼りにするものです。女人は男を頼みとし、別れを惜しむ故に髪をそり、墨染めの袖の着物に着替えられ(尼になられ)たのです。どうして十方の仏が憐れに思われない事があるでしょうか。また法華経も見捨てられる筈がないと信じて、信心に励んでください。
※大聖人は、入道の病の為に髪を剃って尼に成ったその真剣な信心を諸仏・法華経が認めておられると確信していく様に励まされている。


「阿育大王と申せし王はこの天の日のめぐらせ給う一閻浮提を大体しろしめされ候いし王なり、此の王は昔徳勝とて五になる童にて候いしが釈迦仏にすなのもちゐをまいらせたりしゆへにかかる大王と生れさせ給う、此の童はさしも心ざしなし・たわぶれなるやうにてこそ候いしかども仏のめでたくをはすればわづかの事も・ものとなりて・かかる・めでたき事候、まして法華経は仏にまさらせ給う事星と月とともしびと日とのごとし、又御心ざしもすぐれて候。されば故入道殿も仏にならせ給うべし、又一人をはする・ひめ御前も・いのちもながく・さひわひもありて・さる人の・むすめなりと・きこえさせ給うべし、当時もおさなけれども母をかけてすごす女人なれば父の後世をもたすくべし。」窪尼御前御返事1481頁)弘安2年5月 58歳御作
通解:阿育大王という王は、この太陽が照らす一閻浮提のほぼ全体を治めた王です。この王が昔、徳勝といっていた五歳の童子の時、釈迦仏に砂の餅を差し上げた功徳によりこの様な大王と生まれたのです。この童子はそれほどの志もなく、戯れの様に供養したのですが、(それを受け取られた)仏が尊かったので、僅かの事でもそれが因となって、この様なめでたい果報を受けられたのです。ましてや法華経が仏より勝れている事は、星と月、燈火と太陽、との違いの様なものです。また、(御供養してくださった尼御前の)御志も勝れているのです。だから、故入道殿も成仏されるでしょうし、また一人おられる姫御前は、寿命も長く幸福で、さすがあの人の娘よと、評判になるでしょう。(姫御前は)今も幼いのに母御前に孝養を尽くされるほどの女人ですから、故入道殿の後世をも助けられる事でしょう。
※尼御前の供養の功徳がどれ程大きいかを、阿育大王の果報を例にして述べられている。


「法華経の題目をつねは・となへさせ給へば此の妙の文じ御つかひに変ぜさせ給い・或は文殊師利菩薩或は普賢菩薩或は上行菩薩或は不軽菩薩等とならせ給うなり(中略)さばせかいの事を冥途につげさせ給うらん、又妙の文字は花のこのみと・なるがごとく半月の満月となるがごとく変じて仏とならせ給う文字なり。されば経に云く『能く此の経を持つは則ち仏身を持つなり』と、天台大師の云く『一一文文是れ真仏なり』等云云、妙の文字は三十二相・八十種好・円備せさせ給う釈迦如来にておはしますを・我等が眼つたなくして文字とは・みまいらせ候なり」(妙心尼御前御返事1484頁)弘安3年5月 59歳御作
通解:(尼御前は)法華経の題目を常に唱えられているのですから、この妙の文字が(冥途への)御使いに変身せられ、文殊師利菩薩・普賢菩薩・上行菩薩・不軽菩薩等と成られたのです。(中略)(題目の一字が)娑婆世界の事を冥途(の入道殿)に告げられている事でしょう。また妙の文字は花と果とがなる様に半月がやがて満月となる様に変じて仏と成られる文字です。その為に法華経宝塔品には「能く此の経を持つ人は則ち仏身を持つなり」と説かれ、天台大師は「一一文文是れ真仏なり」等と述べられているのです。妙の文字は三十二相・八十種好を円満に備えられている釈迦如来であられますが、我等の眼が拙いので文字と見ているのです。
※法華経の題目の文字は、仏と成られる文字と仰せなのです。


「仏の御弟子の中にあなりち(阿那律)と申せし人はこくぼん王の御子いえにたからを・みてて・おはしき、のちに仏の御でしとなりては天眼第一のあなりちとて三千大千世界を御覧ありし人、法華経の座にては普明如来とならせ給う、そのさきのよの事をたづぬれば・ひえのはんを辟支仏と申す仏の弟子にくやうせしゆへなり、いまの比丘尼はあわのわさごめ山中にをくりて法華経にくやうしまいらせ給う、いかでか仏にならせ給はざるべき」(窪尼御前御返事、阿那律事1485頁 )弘安3年6月 59歳御作
通解:仏の御弟子の阿那律という人は、斛飯王の子で家には財宝が満ちていました。のちに仏の御弟子となってからは天眼第一の阿那律と呼ばれ、三千大千世界を見尽くす事のできた人で、法華経の会座で普明菩薩と成られたのです。この人の前世を尋ねると、稗の飯を辟支仏という仏の弟子に供養したから、この様な果報を得たのです。今、尼御前の粟の早稲米をわざわざ身延の山中に送って法華経に供養されたのですから、どうして仏に成られない理由があるでしょうか。
※大聖人は、尼御前をも「仏に成る」と約束されています。

また「高橋殿御返事」の御抄に妙心尼に関連する文抄がありますが、別掲する事とします。


 
 

御書に見る「成仏を約束された人々」14

 投稿者:サム  投稿日:2017年 6月18日(日)15時26分41秒
  御書に見る「成仏を約束された人々」14

妙一尼

生没年不詳、大聖人御在世当時の鎌倉に住む女性信徒、妙一女・辨殿尼御前・王日女と同一人物との説もあるが不明、六老僧の一人である日昭の縁者で、夫(不詳)は信仰に命をかけた大聖人の信者で、妙一尼も信仰の為に所領を没収されても大聖人への供養を怠らず、学識豊かで強盛な信者であった、と思われる。


「法華経を信ずる人は冬のごとし冬は必ず春となる、いまだ昔よりきかず・みず冬の秋とかへれる事を、いまだきかず法華経を信ずる人の凡夫となる事を、経文には『若有聞法者無一不成仏』ととかれて候。」(妙一尼御前御消息1253頁)建治元年5月 54歳御作
通解:法華経を信じる人は冬の様なものです。冬は必ず春となります。いまだかって昔より聞いたことも見たこともありません。冬が春とならずに秋に戻るという事を。(同じ様に)未だかつて聞いた事がありません。法華経を信じる人が仏に成らずに凡夫のままでいる事を。法華経方便品には「もし法を聞く事ができた者は、一人として成仏しない者はいない」と説かれているのです。
※大聖人が、妙法を信受した人は全員成仏する、と約束されています。


「信心と申すは別にはこれなく候、妻のをとこをおしむが如くをとこの妻に命をすつるが如く、親の子をすてざるが如く・子の母にはなれざるが如くに、法華経釈迦多宝・十方の諸仏菩薩・諸天善神等に信を入れ奉りて南無妙法蓮華経と唱へたてまつるを信心とは申し候なり、しかのみならず正直捨方便・不受余経一偈の経文を女のかがみをすてざるが如く・男の刀をさすが如く、すこしもすつる心なく案じ給うべく候」(妙一尼御前御返事、信心本義事1255頁)弘安3年5月 59歳御作
通解:信心というのは、特別これといって難しいものではありません。妻が夫を愛おしく思う様に、夫が妻の為には命を捨てる様に、親が子を捨てない様に、子供が母親から離れない様に、法華経・釈迦・多宝・十方の諸仏・菩薩・諸天善神(つまり御本尊)に信を入れて、南無妙法蓮華経と唱え奉る事を信心というのです。それだけではなく、法華経方便品の「正直に方便を捨てて(但だ無上道を説く)」又法華経譬喩品の「(合唱し頂受し、但ねがって、大乗経典を受持して)乃至、余経の一偈をも受けざる有らん‥」の経文を、ちょうど女の人が身から鏡を離さない様に、また男のが刀をいつも差している様に、瞬時も見放さないで護持し行動してください。
※日蓮仏法を信仰する本義を述べられています。


「其の後は一定法華経の即身成仏を御用い候らん、さなく候ては当世の人人の得意候・無得道の即身成仏なるべし不審なり、先日書きて進らせ候いし法門能く心を留めて御覧あるべし、其の上即身成仏と申す法門は世流布の学者は皆一大事とたしなみ申す事にて候ぞ、就中予が門弟は万事をさしをきて此の一事に心を留む可きなり。」(妙一女御返事、事理成仏抄1260頁)弘安3年10月59歳御作
通解:その後はきっと法華経の即身成仏の法を用いておられると思います。もし、そうでないならば、今日、世間の人達が考えている無得道の即身成仏となってしまうでしょう。気がかりな事です。先日書いて指し上げたこの法門を、よくよく心に留めてご覧ください。その上即身成仏という法門は、世間で著名な学者は、皆、最も大事な法門であると心得ているところです。まして、我が門弟においては、世間の全ての事をさしおいて此の即身成仏の法門に心を留めるべきです。
※大聖人は、仏法における即身成仏(人間革命)の重要性を述べられています。


「さばかりの上代の人人だにも即身成仏には取り煩はせ給いしに、女人の身として度度此くの如く法門を尋ねさせ給う事は偏に只事にあらず、教主釈尊御身に入り替らせ給うにや・竜女が跡を継ぎ給うか・又憍曇弥女の二度来れるか、知らず御身は忽に五障の雲晴れて寂光の覚月を詠め給うべし」妙一女御返事、事理成仏抄1262頁)
通解:この様な上代の人々ですら即身成仏の法門について、悩まれてきたのに、女性の身として度々この様に即身成仏の法門について尋ねられた事は、ひとえにただ事ではなく、おそらく教主釈尊があなたの身に入り替られたのでしょうか。それとも竜女が跡を継いで、女人成仏を証明される人か、あるいは釈尊の姨母憍曇弥女生まれ替わって来られたのでしょうか。いずれかは知りませんが、あなたの身はたちまちに、五障の雲が晴れて寂光の覚月を詠められるでしょう。
※大聖人は、妙一女が女人成仏を証明される人か、釈尊の姨母の生れ替りかと讃嘆され、常寂光土の月を眺める様な成仏の境涯を、胸中に築くに違いないと激励されています。


 

御書に見る「成仏を約束された人々」13

 投稿者:サム  投稿日:2017年 6月15日(木)08時27分24秒
編集済
  御書に見る「成仏を約束された人々」13

妙法尼

生没年不明で妙法尼について、①駿河国(静岡県)岡宮の岡宮妙法尼とも云われ、夫(尾張次郎兵衛)や兄に先立たれながらも信仰厚く、大聖人から妙法尼御前御返事等の御消息文を頂き、弘安5年2月に逝去したと伝えられている。他に同名で、②四条金吾の母、③佐渡中興(新潟県佐渡郡佐和田町字中原)に住む中興入道の母で夫を中興次郎入道といい、大聖人が佐渡流罪中に帰依し、身延入山後も音信を寄せた人、④新田五郎重綱(日目上人の父)の母、がある。


「先法華経につけて御不審をたてて其趣を御尋ね候事ありがたき大善根にて候、須弥山を他方の世界へつぶてになぐる人よりも・三千大千世界をまりの如くにけあぐる人よりも 無量の余の経典を受け持ちて人に説ききかせ聴聞の道俗に六神通をえせしめんよりも、 末法のけふこのごろ 法華経の一句一偈のいはれをも尋ね問う人はありがたし、此の趣を釈し給いて人の御不審をはらさすべき僧もありがたかるべしと、法華経の四の巻・宝塔品と申す処に六難九易と申して大事の法門候、今此の御不審は六の難き事の内なり、爰に知んぬ若し御持ちあらば即身成仏の人なるべし」(妙法尼御前御返事、一句肝心事1402頁)弘安元年7月 57歳御作
通解:まず法華経について、疑問を立て、その趣旨を尋ねられた事は、尊い大善根です。
 須弥山を他方の世界へ小石の様に投げる人よりも、三千大千世界を鞠の様に蹴り上げるよりも、無量の経典を受け持って、人に説き聞かせ、聴聞した道俗に六神通を得させる人よりも、末法の今日において法華経の一句一偈の意義を訪ね問う人は稀です。またこの趣旨を説き聞かせて、人の疑問を晴らす事のできる僧も稀であると法華経の第四の巻・宝塔品というところに六難九易といって大事の法門が説かれています。今貴女がこの疑問を尋ねられた事は、六つの難しい事の中の一つです。それ故、もし法華経を持っていくならば、その人は即身成仏する事ができる人なのです。
※法華経(妙法)を持つ人は即身成仏する事ができる人です。


「此の経の題目は習い読む事なくして大なる善根にて候、悪人も女人も畜生も地獄の衆生も十界ともに即身成仏と説かれて候は、水の底なる石に火のあるが如く百千万年くらき所にも燈を入れぬればあかくなる、世間のあだなるものすら尚加様に不思議あり、何に況や仏法の妙なる御法の御力をや、我等衆生悪業・煩悩・生死果縛の身が、正・了・縁の三仏性の因によりて即法・報・応の三身と顕われん事疑ひなかるべし、妙法経力即身成仏と伝教大師も釈せられて候、心は法華経の力にてはくちなはの竜女も即身成仏したりと申す事なり」(妙法尼御前御返事、一句肝心事1403頁)
通解:この法華経の題目は、その意味を理解して唱えなくても、大きな善根となります。悪人も、女人も、畜生も、地獄の衆生も、十界の衆生が皆、即身成仏できると説かれている事は、ちょうど水底に沈んでいる石でも、擦れば火を発す様に、百千万年の間、闇に閉ざされていた所でも、燈を入れれば明るくなる様なものです。世間の訳の分からない事でさえ、まだ、この様な不思議があるのです。ましてや、仏法の不思議な御力においてはなおさらです。我等衆生の悪業・煩悩・生死果縛の身が、正・了・縁の三仏性の因によって、即法・報・応の三身如来と顕れる事は疑いないことです。「妙法の経力を以て即身に成仏する」と伝教大師も釈されています。その意味は、法華経の力によって、蛇身の竜女も即身成仏したということです。
※唱題する事で、我等衆生の悪業・煩悩・生死果縛の身が法・報・応の三身如来と顕れる事は疑いない、と仰せです。


「しかれば故聖霊・最後臨終に南無妙法蓮華経と・となへさせ給いしかば、一生乃至無始の悪業変じて仏の種となり給う、煩悩即菩提・生死即涅槃・即身成仏と申す法門なり、かかる人のえんの夫婦にならせ給へば又女人成仏も疑なかるべし、若し此の事虚事ならば釈迦・多宝・十方・分身の諸仏は妄語の人・大妄語の人・悪人なり、一切衆生をたぼらかして地獄におとす人なるべし」(妙法尼御前御返事、臨終一大事1405頁)弘安元年7月 57歳御作
通解:故聖霊は最後臨終の時に南無妙法蓮華経と唱えられたのですから、一生ないし無始以来の悪業は変じて仏の種となっているのです。これが煩悩即菩提・生死即涅槃・即身成仏という法門です。この様な人と夫婦の間柄となられたのですから、また女人成仏も疑いないでしょう。もしこの事が嘘ならば釈迦仏・多宝仏・十方分身の諸仏は嘘つきの人・大嘘つきの人・悪人であり、一切衆生を騙して地獄に堕とす人なのです(でも決して、そうではないのです)。
※仏説が真ならば、夫婦共に成仏を約束されているのです。


「女人の御身・男にもをくれ親類をも・はなれ一二人ある・むすめもはかばかしからず便りなき上・法門の故に人にも・あだまれさせ給ふ女人・さながら不軽菩薩の如し」(妙法比丘尼御前御返事1419頁)弘安4年60歳御作
通解:あなたは、女人の御身として、夫に先立たれ、親類も離れ、一人・二人ある娘もあまりしっかりしておられず、便りもない(頼りにならない?)上、法華経の法門の故に人に怨まれる女人のあなたは、まるで不軽菩薩の様です。
※大聖人は妙法尼を「不軽菩薩の様です」と讃えておられます。


「女人は由なき道には名を折り命を捨つれども成仏の道はよはかりけるやと・をぼへ候に、 今末代悪世の女人と生れさせ給いてかかるものをぼえぬ島のえびすにのられ打たれ責られしのび法華経を弘めさせ給う彼の比丘尼には雲泥勝れてありと仏は霊山にて御覧あるらん、 彼の比丘尼の御名を一切衆生喜見仏と申すは 別の事にあらず、今の妙法尼御前の名にて候べし、王となる人は過去にても現在にても十善を持つ人の名なり名は・かはれども師子の座は一也、此の名も・かはるべからず、彼の仏の御言をさかがへす尼だにも一切衆生喜見仏となづけらる、是は仏の言をたがへず此の娑婆世界まで名を失ひ命をすつる尼なり、 彼は養母として捨て給はず是は他人として捨てさせ給はば偏頗の仏なり、争でかさる事は候べき、況や其中衆生悉是吾子の経文の如くならば今の尼は女子なり彼の尼は養母なり、 養母を捨てずして女子を捨つる仏の御意やあるべき、此の道理を深く御存知あるべし」(妙法比丘尼御前御返事1420頁)
通解:女人はつまらない。世間の道には、名を汚して命を捨てるけれども、成仏の(修行の)道には弱いだろうと思っていました。ところが今、末代悪世の女人と生まれて、この様に物の道理をわきまえない日本国の野蛮な人達にののしられ、打たれ、責められながら耐えて法華経を弘めておられる姿は、かの比丘尼とは雲泥の差ほど勝れていると、仏は霊鷲山でご覧になっている事でしょう。かの比丘尼(仏の御姨母・摩訶波闍波提比丘尼)の御名を一切衆生喜見仏というのは別の事ではなく、今の妙法尼御前の名なのです。王となる人は、過去にも現在にも十善戒を持つ人の名です。名は変わる事はあっても、師子の座は一つです。同じ様に、この(一切衆生喜見仏という)名も同じです。かの仏の御言葉に逆らった尼でさえ一切衆生喜見仏と名づけられました。あなたは仏の御言をたがえず、この娑婆世界で名誉もなげうち、命を捨てている尼です。彼(仏)は(摩訶波闍波提)比丘尼を養母としてお捨てにならなかったのです。あなたの事を他人として捨てられたならば、不公平な仏となります。どうしてその様な事がありましょうか。ましてや法華経譬喩品の「其の中の衆生は悉く是れ我が子」の経文通りならば、今の尼(妙法尼)は女子であり、彼の尼は養母です。養母を捨てないが女子を捨てるなどという事が、仏の御意である筈がありません。この道理を深く御理解してください。
※大聖人は、記別を与えられた釈尊の姨母よりも、妙法尼の方が優れており、親である仏が見ておられる、と仰せなのです。


「日月は地におち須弥山はくづるとも、彼の女人仏に成らせ給わん事疑いなし、あらたのもしや・たのもしや。(中略)
仏・法華経にまいらせ給へる女人の成仏得道・疑うべしや。」(松野殿御返事1390頁) 元号年不明、5月1日 妙法尼への御返事
通解:たとえ、日や月が地に落ち須弥山が崩れる事があったとしても、彼の女人が仏に成られる事は疑いないことです。まことに、たのもしいことです。(中略)
仏・法華経に御供養なされた女性の成仏得道は、絶対に疑いないのです。
※タイトルは異なるが、妙法尼への御返事と拝され、妙法尼の成仏を約束されています。


 

御書に見る「成仏を約束された人々」12

 投稿者:サム  投稿日:2017年 6月13日(火)04時13分16秒
  御書に見る「成仏を約束された人々」12

松野殿

松野六郎左衛門入道は、駿河国(静岡県)庵原郡松野の邑主で、娘が南条兵衛七郎に嫁いだ縁によって大聖人に帰依したとされる。多くの子供が居られたらしく、蓮華寺建立の長男・六郎左衛門尉、六老僧の一人である次男・日持それに南条家の兵衛七郎に嫁いだ娘だけが知られており、日持を出家させた後に自らも入道となり建治4年に病没している。女房である後家尼と長男の妻の外に妙法尼(刑部左衛門尉女房)も一族と見られ、松野殿及びその一族に与えられた御書は、松野殿御返事4編(内妙法尼に1編)、松野殿御消息2編、松野尼御返事、松野殿後家尼御返事、松野殿女房御返事2編、浄蔵浄眼御消息、刑部左衛門尉女房御返事、春麦御書の計13編が残されている。松野殿女房との宛名がどちらを指しているのか判明できないものもある。


「在家の御身として皆人にくみ候に、而もいまだ見参に入り候はぬに何と思し食して御信用あるやらん、是れ偏に過去の宿植なるべし、来生に必ず仏に成らせ給うべき期の来りてもよをすこころなるべし」(松野殿御消息、一劫御書1379頁)
通解:あなたは、在家の身でありながら、人々が皆日蓮を憎んでいるのに、しかも、いまだ一度もお目にかかった事もないのに、何故この様にご信用なされるのでしょう。これは、ひとえに妙法の仏種を過去に植えられた因縁によるものでしょう。来生に必ず仏に成られる時が来たので、この様に仏法を求める心が起きたのでしょう。
※大聖人は松野殿の求道心を認めておられます。


「過去の不軽菩薩は一切衆生に仏性あり法華経を持たば必ず成仏すべし、彼れを軽んじては仏を軽んずるになるべしとて礼拝の行をば立てさせ給いしなり、法華経を持たざる者をさへ若し持ちやせんずらん仏性ありとてかくの如く礼拝し給う何に況や持てる在家出家の者をや」(松野殿御返事、十四誹謗抄1382頁)建治2年12月
通解;過去の不軽菩薩は、「一切の衆生には、みな仏性を所持している。法華経を持つならば必ず成仏する。その一切衆生を軽蔑する事は、仏を軽んずる事になる」といって、一切衆生に向かって礼拝の行を立てたのです。不軽菩薩は法華経を持っていない者でさえも、「もしかすると持つかもしれない。(本来誰もが)仏性を所持している」として、この様に敬い礼拝したのです。ましてや、法華経を持っている在家出家の者は、当然尊敬しなければならないのです。
※法華経を持っている者(法華経行者)を、在家出家に関わらず、当然同志として、尊敬しなければならないのです。


「但在家の御身は余念もなく日夜朝夕・南無妙法蓮華経と唱え候て最後臨終の時を見させ給へ、妙覚の山に走り登り四方を御覧ぜよ、法界は寂光土にして瑠璃を以て地とし・金繩を以て八の道をさかひ、天より四種の花ふり虚空に音楽聞え、諸仏菩薩は皆常楽我浄の風にそよめき給へば・我れ等も必ず其の数に列ならん、法華経はかかる・いみじき御経にて・をはしまいらせ候」(松野殿御返事1388頁)建治3年9月
通解:在家の身としては、ただ余念なく、日に夜に、朝に夕に南無妙法蓮華経と唱えて、最後臨終の時を見なさい。妙覚の山(成仏の高き境涯)に走り登って、頂上から四方を御覧なさい。法界は寂光土であり、瑠璃を以って大地とし、黄金の繩で涅槃にいたる八つの道を境とし、天からは曼荼羅華等の四種類の花がふり、虚空に妙なる音楽が聞え、諸仏・菩薩は皆常楽我浄の四徳の風にそよめいているのです。我らも必ず、その仏・菩薩の数の内に列なる事でしょう。法華経はこの様に大変すぐれた御経なのです。
※大聖人は、我らも必ず、仏・菩薩の数の内に列なる、と明言されています。


「日月は地におち須弥山はくづるとも、彼の女人仏に成らせ給わん事疑いなし、あらたのもしや・たのもしや。干飯一斗・古酒一筒.ちまき・あうざし・たかんな方方の物送り給いて候草にさける花.木の皮を香として仏に奉る人・霊鷲山へ参らざるはなし、況や民のほねをくだける白米・人の血をしぼれるが如くなる・ふるさけを仏・法華経にまいらせ給へる女人の成仏得道・疑うべしや。」(松野殿御返事1390頁)弘安元年5月 57歳御作
通解:日や月が地に落ち須弥山が崩れる事があっても、彼の女人が仏に成られる事は疑いないのです。まことに、たのもしいことです。たのもしいことであります。干飯一斗・古酒一筒.ちまき・あうざし・筍などの品々をお送りいただきました。野辺に咲く草の花や、木の皮を香として仏に供養した人で、霊鷲山へ参らない者はありません。まして民の骨をくだいて作った様な(尊い)白米、また、人の血をしぼった様な(大事な)古酒を、仏・法華経に御供養された女性の成仏得道は、絶対に疑いないのです。
※此処でも、「女性の成仏得道は、絶対に疑いない」と仰せです。


「南無妙法蓮華経と心に信じぬれば心を宿として釈迦仏懐まれ給う、始はしらねども漸く月重なれば心の仏・夢に見え悦こばしき心漸く出来し候べし、法門多しといへども止め候、法華経は初は信ずる様なれども後遂る事かたし、譬へば水の風にうごき花の色の露に移るが如し、何として今までは持たせ給うぞ是・偏へに前生の功力の上・釈迦仏の護り給うか、たのもし」(松野殿女房御返事、仏身懐胎抄1395頁)弘安3年9月 59歳御作
通解:南無妙法蓮華経を心に深く信じるならば、その心を宿として釈迦仏は宿られるのです。それも、始めは気づかないけれど、だんだんと月が重なれば、心中に宿った仏が夢の様に見えてきて喜悦の心が次第に出て来るのです。法門は多いが、ここで止めておきます。法華経は、初めは信ずる様であっても、最後まで信心を貫き通す事は難しいのです。譬えば水が風によって動き、花の色は露によって移る様なものなのです。(この様に全てが移ろい易いのにあなたはどの様にして)今日まで持ち続けられたのでしょうか。これはひとえに前生において積まれた功徳の上に、釈迦仏があなたを護られているからでしょうか。まことに頼もしい事です。
※妙法(南無妙法蓮華経)の功徳と信心持続の困難さを述べられています。我々も手本にすべきです。


 

御書に見る「成仏を約束された人々」11

 投稿者:サム  投稿日:2017年 6月11日(日)09時35分10秒
  御書に見る「成仏を約束された人々」11

光日房

安房(千葉県)の清澄寺山下の天津の人で、今日〇〇房と呼べば男性僧侶を通常意味するが、大聖人から賜った御抄から推察すると、光日尼の事を示している様に思われ、夫は武人とされるが詳細は不明である。先に息子の弥四郎が青年時代に大聖人に帰依し其の後、光日尼も共に信心に励むが、弥四郎は横死する。賜書に、種種御振舞御書、光日房御書、光日上人御返事、光日尼御返事があり、大聖人からは慈愛溢れる指導激励を受けている。


「各各我が弟子となのらん人人は一人もをくしをもはるべからず、をやををもひ・めこををもひ所領をかへりみること・なかれ、無量劫より・このかた・をやこのため所領のために命すてたる事は大地微塵よりも・をほし、法華経のゆへには・いまだ一度もすてず、法華経をばそこばく行ぜしかども・かかる事出来せしかば退転してやみにき、譬えばゆをわかして水に入れ火を切るにとげざるがごとし、各各思い切り給へ此の身を法華経にかうるは石に金をかへ糞に米をかうるなり。」(種種御振舞御書910頁)建治2年3月 55歳御作 安房の光日房に与う
通解:各各日蓮の弟子と名乗る人々は、一人も臆する心を起こしてはなりません。大難の時には親の事を心配したり、妻子の事を心配したり、また所領を顧みてはなりません。無量劫の昔から今日まで、親子の為や所領の為に命を捨てた事は、大地の土の数よりも多いのです。だが法華経の為にはいまだ一度も命を捨てた事はないのです。過去世に法華経を多少修行したけれど、この様な大難が出て来た場合に退転してしまったのです。それは譬えば折角湯を沸かしておきながら水を入れてしまい、火を起すのに途中で止めて起しきれない様なものです。各々覚悟を決めきって修行を遣り遂げなさい。この身を法華経と交換するのは、石を黄金と取り換え、糞を米と交換うる様なものなのです。
※大聖人は、法華経の死身弘法の精神を説いて弟子を励まされている。


「人のをやは悪人なれども子・善人なれば・をやの罪ゆるす事あり、又子悪人なれども親善人なれば子の罪ゆるさるる事あり、されば故弥四郎殿は設い悪人なりともうめる母・釈迦仏の御宝前にして昼夜なげきとぶらはば争か彼人うかばざるべき、いかに・いわうや彼の人は法華経を信じたりしかば・をやをみちびく身とぞ・なられて候らん」(光日房御書931頁)建治2年3月 55歳御作
通解:人の親は悪人であっても子が善人であれば、親の罪を許す事も有り得ます。また子が悪人であっても、親が善人であれば、子の罪を許される事も有り得るでしょう。ですから、故弥四郎殿はたとえ悪人であっても、生みの母が釈迦仏の御宝前で昼夜になげき・追善供養するならば、どうして弥四郎殿が成仏できない事があるでしょうか。ましてや弥四郎殿は、生前には法華経を信じていたのですから、悪道へ堕ちるどころか、親を成仏へ導く身となられるでしょう。
※親の信心で子を、子の信心で親を、成仏へ導く事ができると、仰せなのです。


「光日尼御前はいかなる宿習にて法華経をば御信用ありけるぞ、又故弥四郎殿が信じて候しかば子の勧めか此の功徳空しからざれば子と倶に霊山浄土へ参り合せ給わん事疑いなかるべし、(中略)何に況や親と子との契り胎内に宿して九月を経て生み落し数年まで養ひき、彼にになはれ彼にとぶらはれんと思いしに彼をとぶらふうらめしさ、後如何があらんと思うこころぐるしさ・いかにせん・いかにせん、子を思う金鳥は火の中に入りにき、子を思いし貧女は恒河に沈みき、彼の金鳥は今の弥勒菩薩なり彼の河に沈みし女人は大梵天王と生まれ給えり、何に況や今の光日上人は子を思うあまりに法華経の行者と成り給ふ、母と子と倶に霊山浄土へ参り給うべし、其の時御対面いかにうれしかるべき」(光日上人御返事932-4頁)弘安4年8月 60歳御作
通解:光日尼御前はいかなる宿習によって法華経を信ずる様になったのでしょうか。また亡くなった弥四郎殿が法華経を信じていたので、その子の勧めによって信ずる様になったのでしょうか。法華経を信じた功徳があるのですから、子の弥四郎殿と共に霊山浄土へ参って会う事は疑いないのです。(中略)ましてや親と子との宿縁はそれ以上なのです。母は胎内に子を宿して九ヵ月を経て出産して数年間養育してきたのです。老後はその子に荷われ、死後も追善を営んでもらえるだろうと思っていたのに、逆に子の弥四郎を弔うこの悲しさ、わが子は今どうしているだろうかと思う心の苦しさは一体どうしたら良いのでしょうか。子を思う金鳥は子を助けるために火の中に入って一命を捨てました。子を思う貧女は最後まで子を守ってガンジス河に沈みました。だが彼の金鳥は今の弥勒菩薩であり、ガンジス河に沈んだ貧女は大梵天王と生まれたのです。ましてや今の光日上人はわが子を思うあまり法華経の行者となったのです。よって必ず母と子が共に霊山浄土へ参る事ができるのです。その時の対面はどんなに嬉しい事でしょう。
※親と子との宿縁により、共に法華経を信ずる様になったのであれば、親子が共に霊山浄土へ参る事ができる、と大聖人は仰せなのです。


「三つのつなは今生に切れぬ五つのさわりはすでにはれぬらむ、心の月くもりなく身のあかきへはてぬ、即身の仏なり・たうとし」(光日尼御返事934頁)年代不明9月
通解:三つの綱である女性の三従(大智度論にある女人が一生涯において服従すべき三つをいい、幼なれば父母に従い、嫁して夫に従い、老いて子に従う、とされている)の業は今生において切れています。五つの障(女人が持つ五つ障りをいい、法華経提婆達多品での舎利弗は、女人の身では梵天・帝釈・魔王・転輪聖王・仏には成れず、従って成仏できないのではないかと疑問するが、八歳の竜女が即身成仏の現証を示し、法華経の正しさを證明する)も既に晴れたでしょう。心奥の仏性の月は曇りがなく煌々と照り輝き、苦集の身の垢は消え果てているのです。まさしく光日尼あなたは即身の仏なのです。まことに尊い事です。
※大聖人は、弥四郎亡き後の光日尼の健気な信心をめでられ、光日尼を三従、五障を離れた「即身の仏」であると、述べられている。


 

御書に見る「成仏を約束された人々」10

 投稿者:サム  投稿日:2017年 6月10日(土)09時32分20秒
編集済
  御書に見る「成仏を約束された人々」10


最蓮房

最蓮房日栄とも日浄ともいい、京都出身で佐渡流罪中に大聖人の門下となった天台学匠である。大聖人の身延入山後に赦免されて京都へ帰り、次いで甲州に移って甲州下山の本国寺を開き、87歳で逝去したと伝えられている。大聖人より賜った御書は、生死一大事血脈抄、草木成仏口決、最蓮房御返事、祈祷抄、祈祷経送状、諸法実相抄、当体義抄、立正観抄、同送状、十八円満抄等であり、いずれも甚深の法門が明かされている。


「然れば久遠実成の釈尊と皆成仏道の法華経と我等衆生との三つ全く差別無しと解りて妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり、此の事但日蓮が弟子檀那等の肝要なり法華経を持つとは是なり」(生死一大事血脈抄1337頁)文永9年2月 51歳御作 最蓮房日浄に与う
通解:この様に、十界の当体が妙法蓮華経であるから、仏界の象徴である久遠実成の釈尊と、皆成仏道の法華経すなわち妙法蓮華経と、我等九界の衆生の三は全く差別がないと信解して、妙法蓮華経と唱えたてまつるところを生死一大事の血脈というのです。この事こそが日蓮と弟子檀那等の肝要なのです。法華経を持つとはこの事を云うのです。
※我等衆生と仏とには差別が無いと信解して唱題する事が大事なのです。


「而るに貴辺・日蓮に随順し又難に値い給う事・心中思い遣られて痛しく候ぞ、金は大火にも焼けず大水にも漂わず朽ちず・鉄は水火共に堪えず・賢人は金の如く愚人は鉄の如し・貴辺豈真金に非ずや・法華経の金を持つ故か、経に云く『衆山の中に須弥山為第一・此の法華経も亦復是くの如し』又云く『火も焼くこと能わず水も漂わすこと能わず』云云、過去の宿縁追い来つて今度日蓮が弟子と成り給うか・釈迦多宝こそ御存知候らめ、『在在諸仏土常与師倶生』よも虚事候はじ。」(生死一大事血脈抄1337-8頁)
通解:そうした中で、あなたは日蓮に随順され、また法華経の為に難に遭われており、その心中が思いやられて心を痛めているのです。鋼鉄は大火にも焼けず、大水にも流されず、また朽ちる事も無いのです。銑鉄は水にも火にも、共に耐える事ができないのです。賢人は鋼鉄の様であり、愚人は銑鉄の様なものです。あなたは法華経の鋼鉄を持つ故に、まさに真金なのです。薬王菩薩本事品に「諸山の中で須弥山が第一である様に、この法華経もまた諸経中最第一である」とあり、また「火も焼く事ができず、水も漂わす事ができない」と説かれています。過去の宿縁で日蓮の弟子となられたのでしょうか。釈迦多宝の二仏だけは御存知と思われます。化城喩品の「在在諸仏の土に常に師と倶に生ぜん」の経文は、どうしても虚事とは思われないのです。
※大聖人は最蓮房を「真金の人」と信頼されています。


「何となくとも貴辺に去る二月の比より大事の法門を教へ奉りぬ、結句は卯月八日・夜半・寅の時に妙法の本円戒を以て受職灌頂せしめ奉る者なり、此の受職を得るの人争か現在なりとも妙覚の仏を成ぜざらん、若し今生妙覚ならば後生豈・等覚等の因分ならんや、実に無始曠劫の契約・常与師倶生の理ならば・日蓮・今度成仏せんに貴辺豈相離れて悪趣に堕在したもう可きや、如来の記文仏意の辺に於ては 世出世に就いて更に妄語無し、然るに法華経には『我が滅度の後に於て応に斯の経を受持すべし、是の人仏道に於て決定して疑有ること無けん』或は『速為疾得・無上仏道』等云云、此の記文虚くして我等が成仏今度虚言ならば・諸仏の御舌もきれ・ 多宝の塔も破れ落ち・二仏並座は無間地獄の熱鉄の牀となり.方・実・寂の三土は地・餓.畜の三道と変じ候べし、争か・さる事候べきや」(最蓮房御返事、師弟契約御書1342-3頁)文永9年4月
通解:何という事はないけれども、あなたに去る二月の頃から大事の法門を教へ申し上げました。最後には、四月八日の夜半、午前四時頃に、妙法の本円戒をもって受職(修行の最後に妙覚の仏位、即ち成仏を許されること)灌頂(法王が智水を菩薩の頂きに注ぎ、仏位を与えること)して差し上げました。この受職を得る人が、どうして現世であっても妙覚の仏と成らない事があるでしょうか。もし今生が妙覚ならば、後生がどうして等覚等の因位の分際である事があるでしょうか。実に、無始の昔からの約束であり、「常に師とともに生ぜん」という理ならば、日蓮がこのたび成仏するのに、あなたがどうして離れて悪道に堕ちる事があるでしょうか。如来の記した経文は、仏の本意から観る時、出世間にあって全く嘘はないのです。しかし法華経には「我が滅度の後に必ずこの経を受持すべきである。この人は仏道において成仏することは疑いないであろう」とあり、或いは「速やかに為れ疾く、無上の仏道を得たり」等とあるのに、この記文が事実でなくて私達の成仏が嘘であるならば、諸仏の御舌も切れ、多宝の塔も破ち、二仏が並座している所は、無間地獄の焼けた鉄の床となり、方便土・実報土・寂光土の三土は地獄・餓鬼・畜生の三悪道と変じるでしょう。どうして、その様な事があるでしょうか。
※大聖人は最蓮房に「成仏」を許されましたが、我等衆生の「成仏」もまた、大聖人の確約なのです。


「又一切の菩薩並に凡夫は仏にならんがために、四十余年の経経を無量劫が間・行ぜしかども仏に成る事なかりき、而るを法華経を行じて仏と成つて今十方世界におはします仏・ 仏の三十二相・八十種好をそなへさせ給いて九界の衆生にあをがれて、月を星の回れるがごとく須弥山を八山の回るが如く、日輪を四州の衆生の仰ぐが如く輪王を万民の仰ぐが如く、仰がれさせ給うは法華経の恩徳にあらずや、されば仏は法華経に誡めて云く「須らく復た舎利を安ずることをもちいざれ」涅槃経に云く「諸仏の師とする所所謂法なり是の故に如来恭敬供養す」等云云、法華経には我舎利を法華経に並ぶべからず、涅槃経には諸仏は法華経を恭敬供養すべしと説せ給へり、仏此の法華経をさとりて仏に成りしかも人に説き聞かせ給はずば仏種をたたせ給ふ失あり、此の故に釈迦如来は此の娑婆世界に出でて説かんとせさせ給いしを、元品の無明と申す第六天の魔王が一切衆生の身に入つて、仏をあだみて説かせまいらせじとせしなり」(祈祷抄1345-6頁)文永9年 51歳御作
通解:また一切の菩薩並びに凡夫は、仏に成る為に、四十余年の経々を無量劫が間、修行したけれども、仏に成る事はなかったのです。ところが、法華経を修行して仏に成られた、今十方世界におられる仏は、仏の三十二相・八十種好を具えられ、九界の衆生から、月を星が回る様に、須弥山を八山が回る様に、日輪を四州の衆生が仰ぐ様に、輪王を万民が仰ぐ様に、仰がれる事こそ、法華経の恩徳ではないでしょうか。そうであればこそ、仏は法華経に誡めて「また舎利を安置することは必要ない」と説かれ、涅槃経には「諸仏の師とする所は法である。この故に如来は恭敬し供養する」と説かれているのです。法華経には我が舎利を法華経と並べてはならないとし、涅槃経には諸仏は法華経を恭敬し供養すべきであると説かれたのです。仏はこの法華経を覚って仏に成られたのですから、人に説き聞かせなかったならば、仏種を断ってしまう罪悪となるのです。だから、釈迦如来はこの娑婆世界に出生してこの法華経を説こうとされたのですが、そこへ元品の無明という第六天の摩王が、一切衆生の身に入って、仏を怨嫉して説かせまいとしたのです。
※大聖人は、誰をも仏にさせる法華経の恩徳とそれを妨げようとする魔の働きがある、事を教示されています。


「其れに付いても法華経の行者は信心に退転無く身に詐親無く・一切法華経に其の身を任せて金言の如く修行せば、慥に後生は申すに及ばず今生も息災延命にして勝妙の大果報を得・広宣流布大願をも成就す可きなり。」(祈祷経送状1357頁)文永10年正月 52歳御作
通解:それにつけても法華経の行者は信心において退転なく、身に偽りなく、一切を法華経にその身を任せて金言の通りに修行すれば、たしかに後生はいうまでもなく、今生においても息災延命で勝れた大果報を得、広宣流布大願をも成就する事ができるでしょう。
※誠実な信心を貫く法華経行者は、大果報を得、広布大願も成就する、と大聖人は仰せなのです。


「釈迦仏は我れ等衆生のためには主師親の三徳を備へ給うと思ひしに、さにては候はず返つて仏に三徳をかふらせ奉るは凡夫なり、其の故は如来と云うは天台の釈に『如来とは十方三世の諸仏・二仏・三仏・本仏・迹仏の通号なり』と判じ給へり、此の釈に本仏と云うは凡夫なり迹仏と云ふは仏なり、然れども迷悟の不同にして生仏・異なるに依つて倶体・倶用の三身と云ふ事をば衆生しらざるなり」(諸法実相抄1358頁)文永10年10月 52歳御作
通解:釈迦仏が我ら衆生の為に主師親の三徳を備えられていると思っていたのでしょうが、そうではなくかえって仏に三徳をこうむらせているのは凡夫なのです。その理由は、如来というのは天台大師の法華文句には「如来とは十方三世の諸仏・真仏・応仏の二仏、法身・報身・応仏の三身・本仏・迹仏の一切の仏を通じて如来と号するのである」と判じられています。この釈に「本仏」というのは凡夫であり「迹仏」というのは仏なのです。しかしながら、迷りと悟りの相違によって、衆生と仏との異なりがあり、この為に衆生は倶体・倶用(体は本体、用は働きを意味し、体と用を共に備わっている事を云い、但体無用に対する語。我が身が妙法の当体であり、経文上の仏・菩薩は全て我が生命の用を表したものであるという事を覚知できないでいる、のが衆生と仏の違い。)という事を知らないのです。
※大聖人が、真実の成仏の姿は如何なるものかを示そうとされた、と拝される。


「日蓮が相承の法門等・前前かき進らせ候き、ことに此の文には大事の事どもしるしてまいらせ候ぞ不思議なる契約なるか、六万恒沙の上首・上行等の四菩薩の変化か、さだめてゆへあらん、総じて日蓮が身に当ての法門わたしまいらせ候ぞ、日蓮もしや六万恒沙の地涌の菩薩の眷属にもやあるらん、南無妙法蓮華経と唱へて日本国の男女を・みちびかんとおもへばなり、経に云く一名上行乃至唱導之師とは説かれ候はぬか、まことに宿縁のをふところ予が弟子となり給う、此の文あひかまへて秘し給へ、日蓮が己証の法門等かきつけて候ぞ」(諸法実相抄1361-2頁)
通解:あなたには日蓮の相承の法門を、前々から書き送っています。特に、この手紙には大事の法門を記して置きました。日蓮と貴辺とは不思議な契約があるのでしょうか。六万恒沙の上首の上行等の四菩薩の変化でしょうか。決められていた事なのでしょう。総じて日蓮が身にあたる法門を差し上げているのです。日蓮は六万恒沙の地涌の菩薩の眷属であるかもしれない。理由は南無妙法蓮華経と唱えて日本国の男女を導かんと思っているからです。法華経従地涌出品には「一名上行乃至唱導之師(注1)」と説かれているではありませんか。あなたにはまことに深い宿縁によって日蓮の弟子となられたのです。この手紙を心して秘していきなさい。日蓮が己証(自ら真理・妙理を悟ること、またその悟り自体のこと)の法門等を書き記したのです。
※大聖人は難解な相承の法門を先ず元天台僧の最蓮房に送られています。いかに大聖人が信頼されていたかが窺われます。

注1:従地涌出品第十五の文であり、詳しい内容は「是の菩薩衆の中に、四導師有り。一を上行と名づけ、二を無辺行と名づけ、三を浄行と名づけ、四を安立行と名づく。是の四菩薩、その衆中に於いて、最も為れ上首唱導の師なり」(「真訓両読 妙法蓮華経並開結」476頁、大石寺版 発行創価学会)とあります。


 

御書に見る「成仏を約束された人々」9

 投稿者:サム  投稿日:2017年 6月 8日(木)19時38分42秒
  御書に見る「成仏を約束された人々」9

秋元殿

秋元太郎兵衛尉勝光といい、下総(千葉県)印旛郡臼井の荘の武人で、文応元年(1260年)、大聖人が松葉ヶ谷の法難を避けて下総中山に行かれた時、入信され、曾屋氏や大田氏と親しく富木氏とは縁戚関係であったと伝えられている。正応四年(1291年、祖滅9年後)に没し、屋敷に法華経堂が建立され、現在は秋本寺という寺院になっている。現存するご消息文は、秋元殿御返事(別名:五節供御書)と秋元御書(別名:筒御器抄)の2通があります。


「法華経の行者をば一切の諸天・不退に守護すべき経文分明なり、経の第五に云く『諸天昼夜に常に法の為の故に 而も之を衛護す』云云、又云く『天の諸の童子以て給使を為し刀杖も加えず毒も害する能わず』云云」(秋元殿御返事、五節供御書1070頁)文永8年正月 50歳御作
通解:法華経の行者を一切の諸天が不退に守護することは経文に明らかです。法華経の第五の巻・安楽行品には「諸天は昼夜に常に法のためのゆえに法華経の行者を守護する」と説かれています。また「天の諸々の童子が給使をし、刀杖を加えることができず、毒をもってしても害することはできない」とも、説かれているのです。
※法華経の行者ならば一切の諸天が、行者を守護されるのです。


「法華経は末法の始め五百年に弘まり給ふべきと聴聞仕り御弟子となると仰せ候事、師檀となる事は三世の契り種熟脱の三益別に人を求めんや、『在在諸の仏土常に師と倶に生れん若し法師に親近せば速かに菩提の道を得ん是の師に随順して学ばば恒沙の仏を見奉る事を得ん」との金言違ふべきや、提婆品に云ふ「所生の処常に此の経を聞く』の人はあに貴辺にあらずや、其の故は次上に「未来世中・若有善男子・善女人」と見えたり、善男子とは法華経を持つ俗の事なり弥信心をいたし給うべし」(秋元殿御返事1070-1頁)
通解:法華経は末法の始めの五百年に弘まる事になっている、と聴聞して御弟子となると仰せられた事について、師となり檀那となる事は三世の契りなのです。種熟脱の三益の法理も別の人に求めても仕方が無いのです。「在在諸の仏土に常に師と倶に生まれる」また「もし法師に親近するならば、速やかに菩提の道を得ることができる。この師に随順して学ぶならば、恒河の沙のほどの仏を見ることができる」との金言に間違いがないのです。提婆品にある「生まれる処で常にこの法華経を聞く」の人は、どうして貴辺の事ではないのでしょうか。(あなたの事なのです)その理由は、この前の文に「未来世の中に、若し善男子・善女人あって」と説かれているからです。善男子とは法華経を持つ俗人の事なのです。ますます信心に励んでいってください。
※師弟の契りを信じ、法華経を持つ善男子と呼ばれる様になりたいですね。


「器は我等が身心を表す、我等が心は器の如し口も器・耳も器なり、法華経と申すは仏の智慧の法水を我等が心に入れぬれば・或は打ち返し・或は耳に聞かじと左右の手を二つの耳に覆ひ・或は口に唱へじと吐き出しぬ、譬えば器を覆するが如し、或は少し信ずる様なれども又悪縁に値うて信心うすくなり或は打ち捨て或は信ずる日はあれども捨つる月もあり是は水の漏が如し、(中略) 此の覆・漏・汙・雑の四の失を離れて候器をば完器と申して・またき器なり、塹つつみ漏らざれば水失る事なし、信心のこころ全ければ平等大慧の智水乾く事なし、今此の筒の御器は固く厚く候上・漆浄く候へば法華経の御信力の堅固なる事を顕し給うか、毘沙門天は仏に四つの鉢を進らせて四天下・第一の福天と云はれ給ふ、浄徳夫人は雲雷音王仏に八万四千の鉢を供養し進らせて妙音菩薩と成り給ふ、今法華経に筒御器三十・盞六十・進らせて争か仏に成らせ給はざるべき。」(秋元御書、筒御器抄1071-2頁)弘安3年1月 59歳御作
通解:また器は、我等の身心を表しているのです。我等の心は器の様なものであり、口も器・耳も器なのです。法華経というのは、仏の智慧の法水ですが、それを我等が心に入れると、或いは打ち返し、或いは耳に聞くまいと左右の手で二つの耳を覆い、或いは口に唱えまいと吐き出すのは、たとえば器を覆す様なものなのです。或いは少し信ずる様であっても、また悪縁にあって信心が薄くなり、或いは打ち捨て、或いは信ずる日はあっても、捨てる月もあれば、これは水の漏れる様なものなのです。(中略) この覆(ふく:うつぶせる、くつがえす、蓋をおおう)・漏(ろ:もれる)・汙(う:けがれる)・雑(ぞう:まざる)の四の失のない器を完器といって、完璧な器なのです。塹の堤が漏れなければ、水が失くなる事はないのです。信心の心が全ければ、平等大慧の智慧の水は乾く事はないのです。今あなたが供養されたこの筒の御器は、固く厚い上に、漆も浄らかなので、法華経の御信心が堅固である事を顕しているのでしょう。毘沙門天は仏に四つの鉢を供養して四天下第一の福徳の多い天といわれ、浄徳夫人は雲雷音王仏に八万四千の鉢を供養されて妙音菩薩と成られたのです。今、あなたは、法華経に筒御器三十と、盞六十を供養されたのですから、どうして仏に成らない事があるでしょうか。
※我等の心を器に譬えて、平等大慧の智水である妙法への取り組みにより、信心を教えられており、此処で大聖人は、秋元氏の成仏をお約束されています。


 

御書に見る「成仏を約束された人々」8

 投稿者:サム  投稿日:2017年 6月 6日(火)16時09分38秒
編集済
  御書に見る「成仏を約束された人々」8

大田乗明

大田五郎左衛門尉乗明は、鎌倉幕府の問注所の役人でその役職を唐では金吾と呼ぶところから大田金吾とも云われる。同僚の富木常忍に折伏され、天台真言を捨て、以後は富木常忍、曽谷教信、金原法橋等と共に下総(千葉県)中山を中心に大聖人の外護に当った強信者である。弘安元年頃に入道して「妙日」の法号を受けその館を本妙寺とした。建治元年に出家させた次男が師阿闍梨日高であり、中山の第2代となった日高は富木入道の館であったと云われる若宮寺と本妙寺を合併させて中山法華経寺とした。乗明は、弘安6年9月、62歳で逝去したが、大聖人から三大秘法抄、転重軽受法門、大田殿許御書等の多数の御書、富木氏、曽谷氏との共通の御消息文も多く賜っている。


「凡夫は煩悩業もあり苦果の依身も失う事なければ煩悩業を種として 報身・応身ともなりなん、苦果あれば生死即涅槃とて法身如来ともなりなんと二乗をこそ弾呵せさせ給いしか、さればとて煩悩・業・苦が三身の種とはなり候はず、今法華経にして有余・無余の二乗が無き煩悩・業・苦をとり出して即身成仏と説き給う時二乗の即身成仏するのみならず凡夫も即身成仏するなり」(太田殿女房御返事、即身成仏抄1005頁)建治元年7月 54歳御作
通解:凡夫は煩悩も業もあり、前生に作った業による苦果の現身を失うことがないので、煩悩や業を種として報身・応身となる事ができ、苦果の現身があるから、生死即涅槃と、そのまま法身如来となる事ができると説いて、二乗を叱り戒めたのです。そうであるからといって、煩悩・業・苦が法身・報身・応身の種にはなりえないのです。今、法華経において、有余涅槃(見惑思惑を断じ未来の生死の因を滅したが、生死の果である自分の身体を残した涅槃)・無余涅槃(色心の煩悩を全て断じ尽くして得られる二乗の最高悟りの境地)の二乗がなくした煩悩・業・苦を取り出して、即身成仏すると説かれた時、二乗が即身成仏しただけでなく凡夫も即身成仏したのです。
※法華経・妙法は、二乗ばかりでなく、凡夫も成仏するのです。


「此の方便品と申すは迹門の肝心なり此の品には仏・十如実相の法門を説きて十界の衆生の成仏を明し給へば舎利弗等は此れを聞いて無明の惑を断じ真因の位に叶うのみならず、未来華光如来と成りて成仏の覚月を離垢世界の暁の空に詠ぜり十界の衆生の成仏の始めは是なり、当時の念仏者・真言師の人人・成仏は我が依経に限れりと深く執するは此等の法門を習学せずして未顕真実の経に説く所の名字計りなる授記を執する故なり。」(太田左衛門尉御返事・方便寿量肝心事1015頁)弘安元年4月 57歳御作
通解:この方便品というのは法華経迹門の肝心です。この品には、仏が十如実相の法門を説いて、十界の衆生の成仏を明かされたもので、舎利弗らはこの法門を聞いて無明の惑を断じ、成仏すべき真実の因の位を得ただけでなく、未来に華光如来となって成仏の覚月を離垢世界の暁の空に眺める事ができるとの未来成仏の保証を受けたのです。十界の衆生の成仏の最初が是なのです。今の時代の念仏者や真言師の人々が成仏は自宗の依りどころとする経に限られると深く執着しているのは、法華経方便品のこれらの法門を習学しないで、未だ真実を顕していない経に説かれている、名目だけの未来成仏の保証に執着しているからなのです。
※迹門の肝心である法華経方便品にも、十界の衆生の成仏が説かれているのです。


「次に寿量品と申すは本門の肝心なり、又此の品は一部の肝心・一代聖教の肝心のみならず三世の諸仏の説法の儀式の大要なり、教主釈尊・寿量品の一念三千の法門を証得し給う事は 三世の諸仏と内証等しきが故なり、但し此の法門は釈尊一仏の己証のみに非ず諸仏も亦然なり、我等衆生の無始已来・六道生死の浪に沈没せしが 今教主釈尊の所説の法華経に値い奉る事は乃往過去に此の寿量品の久遠実成の一念三千を聴聞せし故なり、有り難き法門なり。」(太田左衛門尉御返事・方便寿量肝心事1016頁)
通解:次に寿量品というのは法華経本門の肝心です。また、この品は法華経一部の肝心、一代聖教の肝心だけでなく、過去・現在・未来の三世の諸仏の説法の儀式の重大な要なのです。教主釈尊が寿量品の一念三千の法門を悟られた事は、三世の諸仏と内面の悟りが等しい為です。但しこの法門は釈尊一仏の自らの悟りだけではなく、諸仏の悟りも同じなのです。無始の昔から六道の生死の苦しみの波浪に沈没してきた我ら衆生が、今の時に教主釈尊が説かれた法華経に遭えたのは、その昔、過去にこの寿量品の久遠実成の一念三千を聴聞したからであり、有り難い法門なのです。
※法華経本門の肝心である寿量品は、一代聖教の肝心であり、六道の生死の苦しみに沈没していた我ら衆生が過去に聴聞しており、現今に大聖人が説かれた妙法に遭い救済される事を示す重要な法門なのです。


「正しく久遠実成の一念三千の法門は前四味並びに法華経の迹門十四品まで秘させ給いて有りしが本門正宗に至りて寿量品に説き顕し給へり、此の一念三千の宝珠をば妙法五字の金剛不壊の袋に入れて末代貧窮の我等衆生の為に残し置かせ給いしなり」(太田左衛門尉御返事・方便寿量肝心事1016頁)
通解:まさしく久遠実成の一念三千の法門は、爾前経ならびに法華経の迹門十四品まで秘していましたが、法華経の本門正宗分である一品二半に至って寿量品に初めて説き明かされたのです。この一念三千の宝珠を妙法蓮華経の五字の金剛石の様に壊れない袋に入れて、末法時代の貧しく苦しんでいる我等衆生の為に残し置かれたのです。
※大聖人は、妙法こそ、貧しく苦しんでいる我等衆生を対象にした法門と明言されています。


「予年来己心に秘すと雖も此の法門を書き付て留め置ずんば門家の遺弟等定めて無慈悲の讒言を加う可し、其の後は何と悔ゆとも叶うまじきと存ずる間貴辺に対し書き送り候、一見の後・秘して他見有る可からず口外も詮無し」(三大秘法禀承事1023頁)弘安5年4月 大田金吾に与う
通解:私が久しく以前から自己の心に秘めてきたのですが、この三大秘法の法門を書き付けて留め置かなければ、我が門家の弟子達が必ず、日蓮は無慈悲であると悪口をいうでしょう。その後はどの様に悔いても及ばない事と考えた為に、あなたに対し、この法門を書き送ったのです。一見した後、秘蔵して他人に見せてはならないし、むやみに他人に話しても無益です。
※宗門において重要書とされる本抄を大田金吾に送られている事自体が、大聖人が大田金吾の人格及び信仰心を認められていた証拠でしょう。
蛇足ながら、この御抄でも、「楠板曼荼羅」を連想させる記述は全く認められないのです。


 

御書に見る「成仏を約束された人々」7

 投稿者:サム  投稿日:2017年 6月 5日(月)07時47分27秒
編集済
  御書に見る「成仏を約束された人々」7

池上兄弟

兄の右衛門太夫宗仲が建長8年、弟の兵衛志宗長も続いて大聖人に帰依したと云われ、父の左衛門太夫康光も20年にわたる猛反対の末、弘安元年に入信している。父康光は極楽寺良観の信奉者で兄宗仲を二度にわたって勘当し、その際に大聖人から励まされたのが『兄弟抄』です。弘安5年日蓮大聖人は湯治の途中、武州池上兄弟の館に寄られ御入滅され、その跡に池上本門寺(開基日朗上人)が建てられている。


「されば法華経を信ずる人の・をそるべきものは賊人・強盗・夜打ち・虎狼.師子等よりも当時の蒙古のせめよりも法華経の行者をなやます人人なり、此の世界は第六天の魔王の所領なり一切衆生は無始已来彼の魔王の眷属なり、六道の中に二十五有と申すろうをかまへて一切衆生を入るるのみならず妻子と申すほだしをうち父母主君と申すあみをそらにはり貪瞋癡の酒をのませて仏性の本心をたぼらかす、但あくのさかなのみを・すすめて三悪道の大地に伏臥せしむ、たまたま善の心あれば障碍をなす(中略)
設ひ等覚の菩薩なれども元品の無明と申す大悪鬼身に入つて法華経と申す妙覚の功徳を障へ候なり、何に況んや其の已下の人人にをいてをや、又第六天の魔王或は妻子の身に入つて親や夫をたぼらかし或は国王の身に入つて法華経の行者ををどし或は父母の身に入つて孝養の子をせむる事あり」(兄弟抄1081-2頁)文永12年4月 54歳御作、池上兄弟に与う
通解:だから法華経を信ずる人が、畏れなければならないものは、賊人、強盗、夜打ち、虎狼、師子等よりも、現在の蒙古の責めよりも、法華経の行者の修行を妨げ悩ます人々なのです。我々の住む娑婆世界は、第六天の魔王の眷属なのです。魔王は六道の中に二十五有という牢を構えて、一切衆生を入れるばかりでなく妻子という絆を打ち、父母主君という網を空にはり、貧瞋癡の酒をのませて、一切衆生の仏性の本心をたぼらかします。そして、悪の肴ばかりをすすめて三悪道の大地に伏臥させ、衆生にたまたまの善心があれば邪魔をするのです。(中略)
たとえ等覚の菩薩であっても、元品の無明という大悪鬼がその身に入って、法華経という妙覚の功徳を妨げるのです。まして、それ以下の人々においては、なおさらの事なのです。また、第六天の魔王があるいは妻子の身に入って親や夫をたぼらかし、あるいは国王の身に入って法華経の行者をおどし、あるいは父母の身に入って孝養の子を責めたりするのです。
※大聖人は、暗躍する第六天の魔王の姿を述べられています。


「この経文に過去の誹謗によりて・やうやうの果報をうくるなかに或は貧家に生れ或は邪見の家に生れ或は王難に値う等云云、この中に邪見の家と申すは誹謗正法の家なり王難等と申すは悪王に生れあうなり、此二つの大難は各各の身に当つてをぼへつべし、過去の謗法の罪を滅せんとて邪見の父母にせめられさせ給う、又法華経の行者をあだむ国主にあへり経文明明たり経文赫赫たり、我身は過去に謗法の者なりける事疑い給うことなかれ、此れを疑つて現世の軽苦忍びがたくて慈父のせめに随いて存外に法華経をすつるよし・あるならば我身地獄に堕つるのみならず悲母も慈父も大阿鼻地獄に堕ちて・ともにかなしまん事疑いなかるべし、大道心と申すはこれなり。」(兄弟抄1083頁)
通解:この経(般泥洹経)文に、過去の謗法によって、さまざまな果法を受ける中に、あるいは貧しい家に生まれ、あるいは邪見の家に生まれ、あるいは王難に値う等と示されています。この中に「邪見の家」というのは誹謗正法の家であり「王難等」というのは、悪王の世に生まれ遭わせる事です。この二つの大難は、あなたがたの身にあたって感ずる事でしょう。過去の謗法の罪を滅しようとして今邪見の父母に責められているのです。また法華経の行者をあだむ国主に遭う事が、経文には明々であり赫々なのです。故にわが身が過去に謗法者であった事は疑ってはならないのです。これを疑って現世の軽苦が忍びがたく慈父の責めにあってこれに随い、仮に法華経を捨てる事があれば、自分が地獄に堕ちるばかりでなく、悲母も慈父も大阿鼻地獄に堕ちて、共に悲しむ事は疑いないのです。大道心と云うのは、此れ(大目的観に立って信心を全うする事)なのです。
※大聖人は「邪見の家に生まれ」「王難に値う」を通して「大道心」の大切さを教示されています。


「各各・随分に法華経を信ぜられつる・ゆへに過去の重罪をせめいだし給いて候、たとへばくろがねをよくよくきたへばきずのあらわるるがごとし、石はやけばはいとなる金は・やけば真金となる、此の度こそ・まことの御信用は・あらわれて法華経の十羅刹も守護せさせ給うべきにて候らめ、雪山童子の前に現ぜし羅刹は帝釈なり尸毘王のはとは毘沙門天ぞかし、十羅刹・心み給わんがために父母の身に入らせ給いてせめ給うこともや・あるらん、それに・つけても、心あさからん事は後悔あるべし、又前車のくつがへすは後車のいましめぞかし」(兄弟抄1083頁)
通解:あなたがた兄弟は、かなり法華経を信じてきたので、過去世の重罪の果報を現世に責め出しているのです。それは例えば鉄を念入りに鍛えて打てば内部の疵が表面にあらわれてくる様なものです。石は焼けば灰となるが、金は焼けば真金となります。この度の難においてこそ、本当の信心があらわれて法華経の十羅刹女もあなたがたを必ず守護するにちがいないのです。雪山童子の前にあらわれた鬼神は帝釈であり、尸毘王に助けられた鳩は毘沙門天でした。同じく、十羅刹女が、信心を試す為に、父母の身に入って、法華経を信ずる人を責めるという事もあるでしょう。それにつけても信心が弱くては、必ず後悔するに違いありません。前車が覆えったのは、後車の誡しめなのです。
※「難の出現」と「諸天善神の守護」を通して、強き信心の必要性を述べられています。


「しをのひると・みつと月の出づると・いると・夏と秋と冬と春とのさかひには必ず相違する事あり凡夫の仏になる又かくのごとし、必ず三障四魔と申す障いできたれば賢者はよろこび愚者は退くこれなり」(兵衛志殿御返事1091頁)建治元年11月 54歳御作
通解:潮が干る時と満つる時に、月の出る時と入る時に、また、夏・秋・冬・春の四季が変わる時には、必ず普段と異なる事があります。凡夫が仏に成る時もまた同じです。すなわち、仏に成る時には、必ず三障四魔という障害が出て来るので、賢者は喜び、愚者はひるんで退くのです。
※仏に成る時の障魔は、賢者ならば喜び、愚者は退くのです。


「仏になり候事は此の須弥山にはりをたてて彼の須弥山よりいとをはなちて、そのいとの・すぐにわたりて・はりのあなに入るよりもかたし、いわうや・さかさまに大風のふきむかへたらんは・いよいよかたき事ぞかし」(兵衛志殿御返事1092頁)建治元年11月
通解:仏に成る事は、かりに二つの須弥山が二つ並んでそびえているとして、こちらの須弥山に針を立てて、あちらの須弥山より糸を放って、その糸がまっすぐに渡って針の穴に入るよりも難しいのです。いわんや、逆向きに大風が吹いてきたならば、いよいよ難しい事なのです。
※我々も前もって、成仏の困難さを理解しておくべきです。


「良観等の天魔の法師らが親父左衛門の大夫殿をすかし、わどのばら二人を失はんとせしに、殿の御心賢くして日蓮がいさめを御もちゐ有りしゆへに二のわの車をたすけ二の足の人を・になへるが如く二の羽のとぶが如く日月の一切衆生を助くるが如く、兄弟の御力にて親父を法華経に入れまいらせさせ給いぬる御計らい偏に貴辺の御身にあり」(兵衛志殿御書1095頁)
通解:彼の極楽寺良観等の天魔の法師たちが、父親の左衛門大夫康光を騙してあなた方兄弟二人を迫害し退転させようとしましたが、兵衛志殿の心が賢明で、日蓮が諫めた事を用いられたが故に、あたかも二つの輪が車を助け、二本の足が人を担う様に、日月が輝いて一切衆生を助ける様に、兄弟二人の力によって、父親を法華経の信心につかせることができたのです。この計らいは偏に兵衛志殿の信心によるものです。
※大聖人は、兄弟の父の左衛門康光を入信させた事を喜ばれて、その長い間の兄弟の労をねぎらわれている。


「御親父御逝去の由・風聞真にてや候らん、貴辺と大夫志の御事は代末法に入つて生を辺土にうけ法華の大法を御信用候へば悪鬼定めて国主と父母等の御身に入りかわり怨をなさん事疑なかるべき・ところに、案にたがふ事なく親父より度度の御かんだうをかうほらせ給ひしかども兄弟ともに浄蔵・浄眼の後身か将た又薬王薬上の御計らいかのゆへに・ついに事ゆへなく親父に御かんきを・ゆりさせ給いて前に・たてまいらせし御孝養心に任せさせ給いぬるはあに孝子にあらずや、定めて天よりも悦びをあたへ法華経十羅刹も御納受あるべし。其の上貴辺の御事は心の内に感じをもう事候、此の法門・経のごとく・ひろまり候わば御悦び申すべし」(孝子御書1100頁)弘安2年2月
通解:御親父が御逝去との噂は事実でしょうか。あなた(兄)と大夫志殿(弟)の事は、世は末法に入って、しかも生を辺土日本にうけて、法華の大法すなわち御本尊を信心されたのですから、悪鬼が必ず国主と父母等の身に入り代わって、あなたがた兄弟に怨をなす事は疑いないところでしたが、案に相違することなく、御親父より度々の御勘当を蒙ったけれども、兄弟共に妙荘厳王を仏法に帰依させた浄蔵・浄眼の後身か、はたまた薬王菩薩・薬上菩薩の御計らいの故でしょうか、ついに無事に御親父の御勘気も許されて、以前に尽くされていた御孝養心にまかせて、御親父に尽くす事ができたのは、真実の孝子ではないでしょうか。定めし、諸天も喜びを与え、御本尊もその志を納受されるでしょう。その上、あなたの事について心の内に深く感じ思う事があり、この法門すなわち三大秘法が法華経に予言されている通り弘まっていくならば、あなたにお悦びを申すでしょう。
※大聖人は、無上の孝養を果たした池上兄弟の信心を褒められ、広布実現への原理を述べられています。


 

御書に見る「成仏を約束された人々」6

 投稿者:サム  投稿日:2017年 6月 4日(日)21時10分9秒
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富木常忍

富木五郎左衛門尉胤継は、鎌倉幕府の問注所に仕えた文官で、大聖人の御在世中の強信者です。始め太田乗明の姉を娶るが死別しその後に富木尼御前と大聖人から呼ばれた妙常を後妻に迎え、その子伊予房日頂を養子にしたと云われ、二人の間に後に重須談所の初代学頭になった寂仙房日澄と乙御前(日妙聖人の娘とは別人)の一男一女に恵まれた。胤継は入道となり『常忍』と称し、大聖人より常修院日常の法諱を賜り、妻の妙常も落飾して尼となっている。胤継は法本尊開顕の書たる『観心本尊抄』の他に法華取要抄(331頁、文永11年)、四信五品抄(338頁、建治3年)、法華行者逢難事(965頁、文永11年)、聖人知三世事(974頁、建治元年)、始聞仏乗義(982頁、建治4年)、四菩薩造立抄(987頁、弘安2年)、佐渡御書(956頁、文永9年)、常忍抄(980頁、建治3年)、治病大小権実違目(995頁、弘安5年)の重要御書を賜っている。大聖人が御入滅され御葬送の折、胤継は門下の重鎮として香炉を持って参列し、大聖人滅後17年目の正安元年に自邸を寺とした法華堂を日高に付し、84歳で逝去している。


「釈迦仏御造立の御事、無始曠劫よりいまだ顕れましまさぬ己心の一念三千の仏造り顕しましますか、はせまいりてをがみまいらせ候わばや、「欲令衆生開仏知見乃至然我実成仏已来」は是なり、但し仏の御開眼の御事はいそぎいそぎ伊よ房をもてはたしまいらせさせ給い候へ、法華経一部御仏の御六根によみ入れまいらせて 生身の教主釈尊になしまいらせてかへりて迎い入れまいらせさせ給へ、自身並に子にあらずばいかんがと存じ候、御所領の堂の事等は大進の阿闍梨がききて候、かへすがへすをがみ結縁しまいらせ候べし」(真間釈迦仏御供養逐状950頁)文永7年9月 49歳御作
通解:釈迦仏を御造立されたとの事、無始曠劫より今日まで、未だ一度も顕れた事のない己心の一念三千の仏を、今造立し顕現されたのです。急ぎ参って拝すれば、法華経方便品に「衆生をして仏知見を聞かしめんと欲す」と云われ、如来寿量品に「然るに我、実に成仏してより已来、無量無辺」と宣べられていますが、それがこの釈尊の造立顕現なのです。但し、この仏の御開眼の事は速やかに伊予房に行わせなさい。伊予房に法華経一部を御仏の御六根に読み入れ参らせて、生身の教主釈尊となし奉ってお迎え申し上げ奉安しなさい。それはあなた御自身ならびに御子息でなければどうかと思われます。御所領の堂の事については大進の阿闍梨が承知しています。かえすがえすもこの御仏を拝し奉り、成仏得脱を願うべきです。
※発迹顕本前の大聖人の御心ですが、富木常忍の成仏を願われています。


「衣かたびらは一なれども法華経にまいらせ給いぬれば法華経の文字は六万九千三百八十四字・一字は一仏なり、此の仏は再生敗種を心符とし 顕本遠寿を其の寿とし常住仏性を咽喉とし一乗妙行を眼目とせる仏なり、応化非真仏と申して三十二相八十種好の仏よりも 法華経の文字こそ真の仏にてはわたらせ給いて仏在世に仏を信ぜし人は仏にならざる人もあり、仏の滅後に法華経を信ずる人は無一不成仏如来の金言なり、この衣をつくりてかたびらをきそえて法華経をよみて候わば日蓮は無戒の比丘なり法華経は正直の金言なり」(御衣並単衣御書971頁)建治元年9月 54歳御作 富木常忍に与う
通解:お送りくださった帷子は一つですが、法華経に供養すれば、法華経の文字は六万九千三百八十四字であり、その一字一字が一仏なのです。しかもこの仏は再生敗種を己が心となし、顕本遠寿をその寿とし、常住仏性を咽喉とし、一乗妙行を眼目とする仏なのです。「応化は真仏に非ず」といって、三十二相八十種好の相を現じた仏よりも法華経の文字こそが真の仏です。仏在世に仏を信じた人の中には成仏しない人もいます。しかし、仏滅後に法華経を信ずる人は、一人として成仏しない人はいない。とは仏の金言なのです。この衣を作り、帷子を着そえて法華経を読み奉るならば、日蓮は無戒の僧ですが、法華経は仏の正直の金言ですから、毒蛇が珠をはき、伊蘭の中から栴檀が生ずる様に、大功徳を生ずるのです。
※法華経を信ずる人は、一人として成仏しない人はいない。とは仏の金言です。


「我れ等は仏に疑いなしとをぼせば・なにのなげきか有るべき、きさきになりても・なにかせん天に生れても・ようしなし、竜女があとをつぎ摩訶波舎波提比丘尼のれちにつらなるべし、あらうれし・あらうれし、南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経と唱えさせ給へ」(富木尼御前御返事976頁)建治2年3月 55歳御作
通解:私達が仏に成る事は絶対に疑いないと思えば、何の嘆きがあるでしょうか。皇妃になっても、また天上界に生まれても何になるでしょう。竜女(法華経提婆達多品に説かれる竜王の八歳の娘、法華経の会座に詣でて爾前の諸経では許されなかった女人成仏の相を現じた)のあとを継ぎ、摩訶波舎波提比丘尼(摩訶針刺闍鉢底とも書く。釈尊の継母。釈尊の生母・摩耶夫人が釈尊出生七日後に死去したため、夫人に替わって浄飯王の妃となり、釈尊を養育した。浄飯王の死後に出家を志し三度釈尊に請願して許され、釈尊教団最初の比丘尼となった。法華経勧持品で一切衆生喜見如来の記別を受ける。)の列に並ぶ事ができるのです。なんと嬉しい事でしょうか。ただ南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経と唱えていきなさい。
※大聖人は夫人に対して、私達が仏に成る事は間違いないので、ただ唱題していきなさい、と御指南されている。


「問うて云く凡夫の位も此の秘法の心を知るべきや、答う私の答は詮無し竜樹菩薩の大論に云く九十三なり「今漏尽の阿羅漢還つて作仏すと云うは唯仏のみ能く知ろしめす、論議とは正しく其の事を論ず可し測り知ること能わず是の故に戯論すべからず若し仏を求め得る時乃ち能く了知す余人は信ずべく而も未だ知るべからず」等云云、此の釈は爾前の別教の十一品の断無明・円教の四十一品の断無明の大菩薩・普賢・文殊等も未だ法華経の意を知らず何に況や蔵通二教の三乗をや何に況や末代の凡夫をやと云う論文なり、之を以て案ずるに法華経の唯仏与仏・乃能究尽とは爾前の灰身滅智の二乗の煩悩・業・苦の三道を押えて法身・般若・解脱と説くに二乗還つて作仏す菩薩・凡夫も亦是くの如しと釈するなり、(中略)問う是くの如し之を聞いて何の益有るや、答えて云く始めて法華経を聞くなり、妙楽云く若し三道即是れ三徳と信ぜば尚能く二死の河を渡る況や三界をやと云云、末代の凡夫此の法門を聞かば唯我一人のみ成仏するに非ず父母も又即身成仏せん此れ第一の孝養なり」(始聞仏乗義984頁)建治4年2月 58歳御作
通解:問います。凡夫の我等でもこの秘法の意を理解することができるでしょうか。答えましょう。私見による答えは無益です。竜樹菩薩の大智度論巻九十三には「今、煩悩を断じ尽くした阿羅漢は、仏になれないと決まっているのに、かえって成仏するというのは、唯仏のみがよく知っている事です。論議は正しくその事を論ずべきですが、測り知る事はできない。だから戯れの論議をしてはならない。もし仏になる事ができた時は、よく了解する事ができる。それ以外の人は、ただ信ずべきであって、末だ了解する事はできない」と云われています。この釈は、法華経以前の別教に説く十一品の無明を断じた菩薩、円教に説く四十一品の無明を断じた大菩薩である普賢菩薩・文殊菩薩等も未だ法華経の意は分からないのです。だからそれ以下の蔵教・通教の二教における三乗においてはいうまでもなく、まして末代の凡夫においてもいうまでもないと論ぜられた文なのです。この事を考えると、法華経方便品第二の「唯仏と仏とのみがよく究め尽くしている」とは、爾前経において灰身滅智した二乗が法華経において煩悩・業・苦の三道をそのまま法身・般若・解脱の三徳となると説かれ成仏しており、菩薩や凡夫もまた同じく成仏することが可能となったと解釈するのです。(中略)
問います。以上の様な法門を聞いて何の利益があるのでしょうか。答えます。始めて法華経を聞くという事です。妙楽大師は止観輔行伝弘決巻一の二に「もし三道がそのまま三徳であると信ずれば、よく文段・変易の二種の生死の河を渡ることができる。ましてや三界を渡りうることはいうまでもない」と云われています。末代の凡夫がこの法門を聞くならば、唯我一人が成仏するばかりでなく、父母もまた即身成仏するのです。これが第一の孝養なのです。
※大聖人は難解な法門を丁寧に解説し、富木常忍がこの法門を聞き信じた事は、自身の即身成仏だけでなく、父母の成仏も可能にした事になり、これこそ第一の孝養なりと称えています。


 

御書に見る「成仏を約束された人々」5

 投稿者:サム  投稿日:2017年 6月 2日(金)11時27分15秒
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  御書に見る「成仏を約束された人々」5

曾谷教信

曾谷二郎兵衛尉教信は、元仁元年(1224)~正応4年(1291)の人で、曾谷二郎入道・教信御房という。大聖人御在世当時、下総国(千葉県)葛飾郡曾谷に住んでいたので曾谷氏と呼ばれ、文応元年(1260)頃に大聖人に帰依し後に出家し大聖人から法蓮日礼の法号を授かっている。重要法門を記した多くの御書を賜り、安国寺と法蓮寺の2寺を建立、子息の道宗(山城守四郎左衛門直秀)も妙興寺を建てている。


「彼の五千の上慢は聞きてさとらず不信の人なり、然れども謗ぜざりしかば三月を経て仏になりにき「若しは信じ若しは信ぜざれば即ち不動国に生ぜん」と涅槃経に説かるるは此の人の事なり、法華経は不信の者すら謗ぜざれば聞きつるが不思議にて仏になるなり」(法蓮抄1046-7頁)建治元年4月 54歳御作 曾谷教信入道法蓮に与う
通解:彼の五千の上慢の比丘は、法華経を聞いても悟る事のできなかった不信の人なのです。しかしながら、誹謗しなかったので、三ヶ月の後には仏になったのです。「もしは信じても、もしは信じなくても、皆不動国に生まれる(不動とは動せずと読み、人生の如何なる出来事にも動じない境涯、仏の境涯をいい、生不動国とは仏国土に生じ仏に成ることができるとの意)」と涅槃経に説かれているのは、この人々の事なのです。法華経は不信の者でも誹謗しなければ、一度聞いたならば、不思議にも仏に成るのです。
※大聖人は法蓮上人と敬いつつも、仏に成る条件を示されています。


「されば十方世界の諸仏は自我偈を師として仏にならせ給う世界の人の父母の如し、今法華経・寿量品を持つ人は諸仏の命を続ぐ人なり、我が得道なりし経を持つ人を捨て給う仏あるべしや、若し此れを捨て給はば仏還つて我が身を捨て給うなるべし」(法蓮抄1050頁)建治元年 54歳御作 曾谷法蓮日礼に与う
通解:だから十方世界の諸仏は、自我偈を師として仏に成られたのです。世界の人の父母の様なものなのです。今法華経寿量品を持つ人は、諸仏の命を継ぐ人です。自分が得道できた経を持つ人を捨てられる仏があるでしょうか。もし、この人を捨てるなら、仏はかえって自分の身を捨てる事になるでしょう。
※勤行をする人が、諸仏の命を継ぐ人である事は明確です。


「経に云く『在在諸の仏土に常に師と倶に生ぜん』又云く『若し法師に親近せば速かに菩薩の道を得ん是の師に随順して学せば恒沙の仏を見たてまつることを得ん』釈に云く『本此の仏に従つて初めて道心を発し亦此の仏に従つて不退地に住す』又云く『初め此の仏菩薩に従つて結縁し還此の仏菩薩に於て成就す』云云、返す返すも本従たがへずして成仏せしめ給うべし、釈尊は一切衆生の本従の師にて而も主親の徳を備へ給う」(曾谷殿御返事1056頁)建治2年 55歳御作
通解:法華経に「在在、諸の仏土に常に師と倶に生まれる」と説かれ、また「もし法師に親近するならば、速やかに菩薩の道を得ることができ、この師に随順して学ぶならば、恒沙の仏を見ることができる」と説かれています。釈には「もとこの仏に従って初めて道心を発し、またこの仏に従って不退地に住する」とあり、また「初めこの仏・菩薩に従って結縁し、またこの仏・菩薩によって成就する」とあります。かえすがえすも本従を間違えないで、成仏していきなさい。釈尊は一切衆生の本従の師であって、しかも主と親の徳を備えておられるのです。
※大聖人は曾谷教信に「本従を間違えず、成仏していきなさい」と御教示されている。


「抑貴辺の去ぬる三月の御仏事に鵞目其の数有りしかば今年一百よ人の人を山中にやしなひて十二時の法華経をよましめ談義して候ぞ、此れらは末代悪世には一えんぶだい第一の仏事にてこそ候へ、いくそばくか過去の聖霊も・うれしくをぼすらん、釈尊は孝養の人を世尊となづけ給へり貴辺あに世尊にあらずや」(曾谷殿御返事1065頁)弘安2年8月
通解:さて、あなたが去る三月の御仏事に、多数の鵞目を供養されたので、今年は百余人をこの山中で養うことができ、昼夜十二時にわたって法華経を読誦したり、講義したりするほど盛況なのです。この姿は末代悪世においては世界第一の仏事というべきです。どんなにか、亡くなられた聖霊もうれしく思われている事でしょう。釈尊は孝養の人を世尊と名付けられました。あなたも世尊というべきではないでしょうか。
※大聖人は、供養された多額の金銭を、弟子の養育、法華経読誦や講義等の仏事に使用すると明らかにされていますが、「楠板曼荼羅」建立を示唆する御文は見出せません。
そして、曾谷教信に対して「貴方は世尊に等しい」と労われている。


「爰に貴辺と日蓮とは師檀の一分なり然りと雖も有漏の依身は国主に随うが故に此の難に値わんと欲するか感涙押え難し、何れの代にか対面を遂げんや唯一心に霊山浄土を期せらる可きか、設い身は此の難に値うとも心は仏心に同じ今生は修羅道に交わるとも後生は必ず仏国に居せん」(曾谷二郎入道殿御返事1069頁)弘安4年7月 60歳御作
通解:思えば貴辺と日蓮とは師檀の一分です。そうとは言っても、有漏の依身(煩悩を所依とする凡夫の肉身)は国主に随うものであるが故に、貴辺もこの蒙古襲来の難に値おうとしているのでしょうか。その貴辺の立場を思うと感涙を押さえる事ができません。いずれの代に対面をとげる事ができるでしょうか。ただ一心に霊山浄土に往く事を期されるべきでしょう。たとえ身はこの難に遭ったとしても、貴辺の心は仏心と同じです。今生は修羅道に交わったとしても後生は必ず仏国に居住するでしょう。
※大聖人は曾谷教信に「心は仏心と同じで、後生は必ず仏国に居住するでしょう」と約束されている。


 

御書に見る「成仏を約束された人々」4

 投稿者:サム  投稿日:2017年 5月28日(日)12時04分45秒
編集済
  御書に見る「成仏を約束された人々」4

国府入道・尼御前夫妻

資料が乏しく生没年等不明、大聖人御在世当時の門下で佐渡の国(新潟県佐渡郡)国府の住人だったので、この名称で書かれたものと思われる。国府入道は大聖人流罪の折りに弟子となり、夫婦揃って種々の御供養し外護され、また、大聖人が身延入山後もはるばる訪れて御供養し、純真な信心を貫いた方々である、事は大聖人御抄の文面から推察される。


「しかるに御子もをはせず但をやばかりなり、其中衆生悉是吾子の経文のごとくならば教主釈尊は入道殿尼御前の慈父ぞかし、日蓮は又御子にてあるべかりけるが、しばらく日本国の人をたすけんと中国に候か、宿善たうとく候、又蒙古国の日本にみだれ入る時は・これへ御わたりあるべし、又子息なき人なれば御としのすへには・これへと・をぼしめすべし、いづくも定めなし、仏になる事こそつゐのすみかにては候いしと・をもひ切らせ給うべし」(国府入道殿御返事1323頁)文永12年4月 54歳御作
通解:ところであなた方には子もなく、親ばかりです。法華経譬喩品第三の「其の中の衆生は、悉く是れ吾が子なり」の経文の通りであるならば、教主釈尊は入道殿と尼御前の慈父でしょう。日蓮は、また、あなたがたの子である筈です。しばらく、日本国を助けようと、(佐渡の地ではなく)国の中央にいるのです。あなた方が前世に積んだ善業は尊いのです。また、蒙古国が日本に乱れ入る時には、この身延へ避難しておいでなさい。また、御息子もいない事ですから、年をとった末には、こちらに移る事をお考えなさい。いずれの地も一定しないものです。ただ仏に成る事こそ、最後の住み家であると、心に決めておきなさい。
※大聖人が、佐渡御流罪の折りに入信した国府入道・尼御前の老夫婦に宛てた激励のお手紙です。同じ佐渡の同志である阿仏房・千日尼には、立派な子息がおられたが、年老いた国府入道・尼御前には子供がいなくて、時には寂しい思いをされたに違いありません。大聖人は、御夫妻に対して「私はあなた方の子供です」と慈愛に満ちたお言葉を掛けられ、「成仏こそが最終の住み家です」と仰せられているのです。


「法華経第四法師品に云く「人有つて仏道を求めて一劫の中に於て 合掌して我が前に在つて無数の偈を以て讃めん、是の讃仏に由るが故に無量の功徳を得ん、持経者を歎美せんは其の福復た彼に過ぎん」等云云、文の心は釈尊ほどの仏を三業相応して一中劫が間・ねんごろに供養し奉るよりも・末代悪世の世に法華経の行者を供養せん功徳は・すぐれたりと・とかれて候、まことしからぬ事にては候へども・仏の金言にて候へば疑うべきにあらず、其の上妙楽大師と申す人・此の経文を重ねて・やわらげて云く「若し毀謗せん者は頭七分に破れ若し供養せん者は福十号に過ぎん」等云云、釈の心は末代の法華経の行者を供養するは十号を具足しまします如来を供養したてまつるにも 其の功徳すぎたり、又濁世に法華経の行者あらんを留難をなさん人は頭七分にわるべしと云云。(中略)尼ごぜん並びに入道殿は彼の国に有る時は人めを・をそれて夜中に食ををくり、或る時は国のせめをも・はばからず身にも・かわらんと・せし人人なり、さればつらかりし国なれどもそりたるかみをうしろへひかれ・すすむあしもかへりしぞかし、いかなる過去のえんにてや・ありけんと・おぼつかなかりしに・又いつしか・これまで・さしも大事なるわが夫を御つかいにて・つかはされて候、ゆめかまぼろしか尼ごぜんの御すがたをば・みまいらせ候はねども心をば・これに・とどめをぼへ候へ、日蓮をこいしく・をはしせば常に出ずる日ゆうべに・いづる月ををがませ給え、いつとなく日月にかげをうかぶる身なり、又後生には霊山浄土に・まいりあひ・まひらせん、南無妙法蓮華経。」((国府尼御前御書1324-5頁)建治元年6月 54歳御作
通解:法華経第四巻法師品の文に「仏道を求める人が、一劫の長い間、合掌して仏の前にあって、無数の偈を唱え讃嘆するならば、この讃仏によって、量り知れない功徳を得るであろう。しかし法華経を受持する者を讃嘆する功徳は、復それよりもすぐれている」とあります。文の心は、釈尊ほどの仏を、身口意の三業をもって、一中劫の間、心を込めて供養するよりも、末代悪世の時代に、法華経の行者を供養する功徳の方が勝れていると説かれているのです。真実とは思えぬ事ですが、仏の金言なので疑うべきではありません。その上、妙楽大師という人は、この経文を重ねて解釈して、「若しこの法華経を毀謗する人は頭が七分に破れ、若し供養する人は、その福は仏の十号に過ぎるであろう」と述べています。この釈の心は、末代の法華経の行者を供養する事は、十号を具足された仏を供養するよりも、その功徳が勝れているという事です。また五濁悪世に出現した法華経の行者に対して迫害する人々は、頭が七分に破れるという事なのです。(中略)尼御前および入道殿は、日蓮が佐渡にいた時は、人目をはばかって夜中に食物を送り、ある時は国の役人の咎めをも恐れず、日蓮の身代わりになろうとされた人々なのです。それ故、辛かった佐渡の国でしたが、剃った髪を後へ引かれる様に、進む足も戻りそうになるほど名残り惜しいものとなりました。どの様な過去の因縁によるものかと不思議に思っていたところ、又いつの間にかこの身延まで、これほど大切な我が夫を御使いとして(この身延まで)遣わされました。夢か幻なのか、尼御前の御姿は見る事はできませんが、心は此処におられると信じています。日蓮を恋しく思われるならば、常に出る日、夕に出る月を拝みなさい。(日蓮は)何時であっても日月に影を浮かべている身なのです。又後生には、霊山浄土へ行ってそこでお会いしましょう。南無妙法蓮華経。
※大聖人がどれほど国府入道・尼御前の御夫婦を大切に思われていたのか、想像できます。現存する国府入道・尼御前夫妻に宛てた御消息文は少ないですが、国府入道・尼御前夫妻の成仏は、きっと約束されているのでしょう。


 

御書に見る「成仏を約束された人々」3

 投稿者:サム  投稿日:2017年 5月27日(土)11時39分50秒
  御書に見る「成仏を約束された人々」3

阿仏房日得と千日尼

阿仏房日得は、阿仏御房や阿仏上人とも呼ばれ、阿仏房は号、日得は法名で、俗名を遠藤左衛門尉為盛といい、順徳上皇の元北面の武士で、上皇が佐渡に流された折りに佐渡に来て定住したと伝えられている。大聖人の佐渡流罪中に論詰しようとして返って折伏され、念仏を捨てて妻千日尼と共に大聖人に帰伏した。文永11年に大聖人が流罪赦免となって鎌倉に帰られるまで、悪天候を厭わず危険を冒して櫃を背負い深夜の道を往復して給仕に努めた。大聖人が身延に入山されてからも八、九十歳の老体にも拘わらず御供養を携えて三度もお訪ねしている。そして豊後房、覚静房、山伏房等を指導し、子息の藤九郎盛綱もその意志を継ぎ、曾孫の如寂日満は年少より富士に上って日興上人に仕え北陸に於ける仏法の中心者を命じられたのも、大聖人の時代の阿仏房の大功労に因るのです。阿仏房は弘安2年91歳で亡くなられている。


「末法に入つて法華経を持つ男女の・すがたより外には宝塔なきなり、若し然れば貴賤上下をえらばず南無妙法蓮華経と・となうるものは我が身宝塔にして我が身又多宝如来なり、」(阿仏房御書1304頁)或文永9年3月13日 51歳御作
通解:末法に入って、法華経を持つ男女の姿よりほかには宝塔はないのです。もしそうであれば、身分の貴賎上下とは関係なく南無妙法蓮華経と唱える者は、その人のそのままの身が宝塔であり、その人自身がまた多宝如来なのです。
※「あなたの生命こそ最極の宝塔なのです」と大聖人は仰せになられた。


「かかるいみじき法華経と申す御経は・いかなる法門ぞと申せば、一の巻方便品よりうちはじめて菩薩・二乗・凡夫・皆仏になり給うやうを・とかれて候へどもいまだ其のしるしなし、設えば始めたる客人が相貌うるわしくして心も・いさぎよく・よく口もきいて候へば・いう事疑なけれども・さきも見ぬ人なれば・いまだ・あらわれたる事なければ語のみにては信じがたきぞかし、其の時語にまかせて大なる事・度度あひ候へば・さては後の事も・たのもしなんど申すぞかし、一切信じて信ぜられざりしを第五の巻に即身成仏と申す一経第一の肝心あり、譬へばくろき物を白くなす事・漆を雪となし・不浄を清浄になす事・濁水に如意珠を入れたるがごとし、竜女と申せし小蛇を現身に仏になしてましましき、此の時こそ一切の男子の仏になる事をば疑う者は候はざりしか、されば此の経は女人成仏を手本としてとかれたりと申す」(千日尼御前御返事1311頁)弘安元年7月28日 57歳御作
通解:この様な尊い法華経という御経は、どの様な法門であるかと言えば、第一巻の方便品第二より初めて菩薩・二乗・凡夫等が皆仏に成れると説かれていますが、未だ成仏した証拠は無いのです。例えば、初めてあう客人の姿が麗しく、心も清らかで、話す言葉に疑う処が無いとしても、これまで見知らぬ人であるから、また話の内容が実際に証明されなければ言葉だけでは信じ難いのです。言葉通りに大事な事が度々証明されれば、それだけで後の事も信頼できるのです。一切の人が法華経を信じながらも信じ切れないでいたのを、第五巻の提婆達多品第十二に即身成仏という法華経第一の肝心が説かれたのです。譬えば、黒い物を白くする事、漆を雪とし、不浄の身を清浄にする事、濁水に如意宝珠を入れた様なものです。竜女という小蛇を現身に仏に成されたのです。この時こそ、一切の男子が成仏できる事を疑う者はいなかったのです。故にこの法華経は女人成仏を手本として、一切衆生の成仏が説かれたというのです。
※衆生の皆が成仏するという証拠は、法華経提婆達多品の竜女の成仏に始まったのです。


「譬えば天月は四万由旬なれども大地の池には須臾に影浮び雷門の鼓は千万里遠けれども打ちては須臾に聞ゆ、御身は佐渡の国にをはせども心は此の国に来れり、仏に成る道も此くの如し、我等は穢土に候へども心は霊山に住べし、御面を見てはなにかせん心こそ大切に候へ」(千日尼御前御返事1316頁)弘安元年10月57歳御作
通解:譬えば、天月は四万由旬離れているが、大地の池には瞬時に影が浮かび、雷門の鼓は千万里の遠くにあっても打てば瞬間に聞こえます。同様に、あなたの身は佐渡の国にいらっしゃるけれども、心はこの国(身延)に来られているのです。仏に成る道もこの様なものです。私達は穢土に住んではいますが、心は霊山浄土に住んでいるのです。お顔をみたからとて何になるでしょう。心こそ大切なのです。
※成仏への道は、距離や時間の隔たりに関係せず、心が大切なのです。


「されば此の経文をよみて見候へば此の経をきく人は一人もかけず仏になると申す文なり」(千日尼御返事1319頁)弘安3年7月2日 59歳御作
通解:(法華経の一字一句を読めば、一切経を読んだ事になる)それ故、この経文(方便品の「若有聞法者無一不成仏」)を読んでみると、この法華経を聞く人は、一人も欠けることなく仏に成るという文なのです。
※大聖人の真意は、「唱題する人は、一人も欠ける事なく仏に成る」という事なのです。


「いろいろに候へども・法華経に入りぬれば唯一人の身一人の心なり、譬へば衆河の大海に入りて同一鹹味なるがごとく・衆鳥の須弥山に近ずきて一色なるがごとし、提婆が三逆も羅睺羅が二百五十戒も同じく仏になりぬ、妙荘厳王の邪見も舎利弗が正見も同じく授記をかをほれり、此れ即ち無一不成仏のゆへぞかし」(千日尼御返事1319頁)
通解:いろいろですが、法華経に入ってしまうと、ただ一人の身・一人の心なのです。譬えば、多くの川の水も大海に入れば同一鹹味となり、多くの色とりどりの鳥も須弥山に近づけば同じ金色となる様なものです。三逆罪を犯した提婆達多も、二百五十戒を守った羅睺羅も同じく仏に成ったのです。妙荘厳王の様な邪見の者と、舎利弗の様な正見の者とが、同じく成仏の授記を受けたのです。これ即ち「一人として成仏しないことはない」との理由なのです。
※大聖人は、「皆成仏道」の法門を示されています。


「故阿仏聖霊は日本国・北海の島のいびすのみなりしかども後生ををそれて出家して後生を願いしが・流人日蓮に値いて法華経を持ち去年の春仏になりぬ、尸陀山の野干は仏法に値いて生をいとひ死を願いて帝釈と生れたり、阿仏上人は濁世の身を厭いて仏になり給いぬ」(千日尼御返事1322頁)
通解:亡くなった阿仏房は、日本国・北海の島の夷の身です。けれども、後生を恐れて出家し、後生を願っていたが、流人の日蓮に値って法華経を持ち、去年の春・仏になったのです。尸陀山(インド毘摩大国にあった山名)の野干(中国の伝説上の獣又は狐の別称)は仏法に値って、生を嫌い死を願って、帝釈と生まれたのです。阿仏上人は濁世の身をきらって仏に成られたのです。
※大聖人は「阿仏房が成仏された」と確かに仰せです。


 

御書に見る「成仏を約束された人々」2 

 投稿者:サム  投稿日:2017年 5月26日(金)15時02分22秒
  御書に見る「成仏を約束された人々」2

四条金吾とその家族

四条中務三郎左衛門尉頼基は、寛喜2年(1230)頃~正安2年(1300)左衛門尉という官名からその唐名により金吾と通称され、北条氏の支族・江間(江馬)家に仕えた武士で、武術に優れ、医術に通達していた。妻は日眼女、娘に月満御前・経王御前がおり、他に三人の兄弟と妹もいたと思われる。大聖人の弟子として強盛な信心を貫いてきた四条金吾は、大聖人が佐渡に流罪され、大聖人一門が大弾圧を受けた時にも、鎌倉の門下の中心者として大聖人を外護し、人本尊開顕の書たる『開目抄』を賜っている。建治3年の桑ヶ谷問答では、「徒党を組み武装して乱入し、暴力で法座を乱した」と主君江馬氏に讒言され、主君より勘気を蒙り「法華経信仰を捨てるかでなければ所領を没収する」旨の下文を受ける。 大聖人は「所領は没収されても信仰は捨てない」との金吾の健気な覚悟に、主君への陳状一篇を代作され、一時は没収された領地も三倍となって返されている。正安2(1300)年に71歳の高齢で亡くなるまで、四条金吾の一生は強信を以て末代門下の鏡とされている。


「盂蘭盆と申すは源目連尊者の母青提女と申す人慳貪の業によりて五百生・餓鬼道にをち給いて候を目連救ひしより事起りて候、然りと雖も仏にはなさず其の故は我が身いまだ法華経の行者ならざる故に母をも仏になす事なし、霊山八箇年の座席にして法華経を持ち南無妙法蓮華経と唱えて多摩羅跋栴檀香仏となり給い此の時母も仏になり給う」(四条金吾殿御書1111頁)文永8年7月 50歳御作
通解:盂蘭盆というのは、もともと目連尊者の母・青提女という人が慳貪の業によりて五百生の間、餓鬼道に堕ちたのを目連尊者が救った事から起ったのです。しかしながら、その時は母を成仏させることはできなかったのです。その理由は目連自身が、法華経の行者でなかった為に母を成仏させる事ができなかったのです。その後、霊山八箇年の説法の席で、目連は法華経を持ち、南無妙法蓮華経と唱えて多摩羅跋栴檀香仏となり、この時母も仏に成ったのです。
※法華経により母子共に仏に成ったのです。


「経王御前を儲させ給いて候へば現世には跡をつぐべき孝子なり後生には又導かれて仏にならせ給うべし、今の代は濁世と申して乱れて候世なり、其の上・眼前に世の中乱れて見え候へば皆人今生には弓箭の難に値いて修羅道におち後生には悪道疑なし。而るに法華経を信ずる人人こそ仏には成るべしと見え候へ」(経王御前御書1123頁)文永9年 51歳御作 四条金吾と娘の経王御前に与う
通解:あなた方が経王御前を儲けられたのですから、現世には、必ず跡を継ぐ孝子なのです。また後生には、この子に導かれて仏に成られるでしょう。今の代は、濁世といって乱れている世なのです。その上、眼前の事実として、世の中が乱れているので、人はみな今生では、弓箭の難にあって、修羅道に堕ち、後生には、三悪道に堕ちる事は疑いありません。しかしながら、法華経を信ずる人々こそ仏に成ると説かれているのです。
※大聖人は、門下の後継の誕生をこれほどまでに喜ばれている。


「此の経をききうくる人は多し、まことに聞き受くる如くに大難来れども憶持不忘の人は希なるなり、受くるは・やすく持つはかたし・さる間・成仏は持つにあり、此の経を持たん人は難に値うべしと心得て持つなり」(四条金吾殿御返事1136頁)文永12年3月
通解:法華経を聞き、信受する人は多いのです。しかし、大難が来た時に、聞き信受した通りに銘記して忘れない人はまれです。法華経を受ける事はやさしいが、持(たも)つ事は難しいのです。しかしながら成仏は持ち続ける事にあるのです。それ故、この法華経を持つ人は必ず難に遭うのだと心得て持つべきなのです。
※難に遭うと覚悟して信仰継続ところに成仏はあるとの御指導です。


「一切衆生・南無妙法蓮華経と唱うるより外の遊楽なきなり経に云く「衆生所遊楽」云云、此の文・あに自受法楽にあらずや、衆生のうちに貴殿もれ給うべきや、所とは一閻浮提なり日本国は閻浮提の内なり、遊楽とは我等が色心依正ともに一念三千・自受用身の仏にあらずや、法華経を持ち奉るより外に遊楽はなし現世安穏・後生善処とは是なり」(四条金吾殿御返事1143頁)建治2年6月
通解:一切衆生にとって南無妙法蓮華経と唱える以外の遊楽はないのです。法華経如来受量品第十六に「衆生の遊楽する所なり」とあります。この文は自受法楽の事をいっているのです「衆生」の中にあなたが洩れることがあるでしょうか、また「所」とは全世界を示しており、日本国は閻浮提の内にあります。「遊楽」とは、すなわち我々の色心・依報・正報ともに、一念三千の当体であり、自受用身の仏であるという事ではないでしょうか。従って、法華経(御本尊)を持つ以外に遊楽はないのです。法華経薬薬喩品第五にある「現世安穏にして、後に善処に生ずる」とはこの事をいうのです。
※「衆生所遊楽」とは、自受用身の仏の存在であるとの仰せです。


「頼基が今更・何につけて疎縁に思いまいらせ候べき、後生までも随従しまいらせて頼基・成仏し候はば君をも・すくひまいらせ君成仏しましまさば頼基も・たすけられ・まいらせむと・こそ存じ候へ。其れに付ひて諸僧の説法を聴聞仕りて何れか成仏の法と・うかがひ候処に日蓮聖人の御房は三界の主・一切衆生の父母・釈迦如来の御使・上行菩薩にて御坐候ける事の法華経に説かれて・ましましけるを信じまいらせたるに候(中略)此くの如き厳重の法華経にて・をはして候間、主君をも導きまいらせむと存じ候故に・無量の小事をわすれて今に仕われまいらせ候、頼基を讒言申す仁は君の御為不忠の者に候はずや、御内を罷り出て候はば君たちまちに無間地獄に堕ちさせ給うべし、さては頼基・仏に成り候ても甲斐なしとなげき存じ候。」(頼基陳状1161-2頁)建治3年6月
通解:この頼基が、今更どうして主君を疎縁に思うでしょうか。後生までも随従して、頼基が成仏したなら主君をも救い、主君が成仏されたならば頼基も助けていただこうと思う所存です。それについて諸僧の説法を聴聞して、いかなる法が成仏の法かと尋ねたところ、日蓮聖人は、三界の主であり一切衆生の父母であり、釈迦如来の御使い、上行菩薩であられる事が法華経に説かれていたので信ずるに至った次第であります。(中略)
この様な厳重な法華経である故に、主君をもお導きしようと思うので、無量の小事を忘れて今日までお仕えしてまいりました。この頼基を讒言する人は、主君のためには、不忠の者ではないでしょうか。頼基が御内を去ってしまうならば、主君はたちまちのうちに無間地獄に堕ちられるでありましょう。それでは、頼基一人が成仏してもなんの甲斐もないと嘆くばかりでございます。
※大聖人が金吾に替わって主君江馬氏に出した陳状ですが、主君への忠義が読み取れます。


「一代の肝心は法華経・法華経の修行の肝心は不軽品にて候なり、不軽菩薩の人を敬いしは・いかなる事ぞ教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ」(崇峻天皇御書1174頁)建治3年9月11日 56歳御作 与四条金吾
通解:釈迦一代の説法の肝心は法華経です。そして、法華経の修行という点でのその肝心は、不軽品になります。不軽菩薩が人ごとに敬ったという事は、どういう事なのでしょうか。教主釈尊の出世の本懐は、人としての振る舞いの道を説く事だったのです。
※成仏(人間革命)の本質は何か、を考えさせられます。


「日蓮は少より今生のいのりなし只仏にならんとをもふ計りなり、されども殿の御事をば・ひまなく法華経・釈迦仏・日天に申すなり其の故は法華経の命を継ぐ人なればと思うなり。」(四条金吾殿御返事1169頁)建治3年 56歳御作
通解:日蓮は若い時から、今生の栄を祈ったことはありません。ただ仏に成ろうと思い願うだけです。しかしながらあなたの事は、絶えず法華経、釈迦仏、日天子に祈っているのです。それは、あなたが法華経の命を継ぐ人だと思うからです。
※後事を継ぐ人は大事なのです。


「阿闍世王は賢人なりしが父を・ころせしかば即時に天にも・すてられ大地も・やぶれて入りぬべかりしかども・殺されし父の王・一日に五百りやう五百りやう数年が間・仏を供養しまいらせたりし功徳と後に法華経の檀那となるべき功徳によりて天もすてがたし地もわれず・ついに地獄にをちずして仏になり給いき、とのも又かくのごとし(中略)いよいよ道心堅固にして今度・仏になり給へ、御一門の御房たち又俗人等にも・かかるうれしき事候はず、かう申せば今生のよくとをぼすか、それも凡夫にて候へば・さも候べき上慾をも・はなれずして仏になり候ける道の候けるぞ」(四条金吾殿御返事1183-4頁)弘安元年10月
通解:阿闍世王は賢人でしたが、父を殺したのですから、即座に天に捨てられ、大地が割れて地獄に堕ちるべきところを、殺された王が生前に一日五百輌ずつ、数年間にわたって、仏を供養した功徳と、阿闍世王自身、後に法華経外護の檀那となる功徳によって、天も捨てがたく、地も割れず、ついに地獄にも堕ちないで仏に成ったのです。あなたもまたその通りなのです。(中略)いよいよ信心を強盛にして今生に成仏を期していきなさい。御一門の出家の御房達や在家の人々の中にも、これほどうれしい事はないのです。この様に所領の事についていえば、現世の欲望だと思われるかもしれませんが、凡夫であるからにはそれは当然ですし、その欲を離れずして仏に成る道があるのです。
※弥々信心を強盛にして今生に成仏を期せよ、と大聖人が仰せなのです。


 

御書に見る「成仏を約束された人々」1

 投稿者:サム  投稿日:2017年 4月24日(月)12時48分14秒
  御書に見る「成仏を約束された人々」1

序論

大聖人の仏法は「即身成仏(人間革命)」と「立正安国(正法による絶対平和樹立)」に他なりません。
そして大聖人は、多くの門下に対して成仏を約束されています。

「我が身が頓て三身即一の本覚の如来にてはありける事なり(中略)此の身頓て今生の中に本覚の如来を顕はして即身成仏とはいはるるなり、譬えば春夏・田を作りうへつれば秋冬は蔵に収めて心のままに用うるが如し春より秋をまつ程は久しき様なれども一年の内に待ち得るが如く此の覚に入つて仏を顕はす程は久しき様なれども一生の内に顕はして我が身が三身即一の仏となりぬるなり。」(十如是事411頁)正嘉2年 37歳御作 法門書か
通解:我が身が多くの時間を要しないでそのまま三身即一身(法報応の三身如来が一身仏に備わっていること、法身如来は仏としての真理それ自体・報身如来は真理を照らす仏の智慧の働き・応身如来は衆生や外界に応じ変現する仏の力用)の本覚(始覚に対する語で、本来備わっている覚り)の如来となるのです。(中略)この身が多くの時間を要しないでそのまま今生中に本覚の如来を顕すので即身成仏といわれるのです。譬えば、春夏に田を耕して種を植えるならば、秋冬には刈り取って蔵に収めて、心のままに用いることができる様なものです。春から秋を待つ間は長い様ですが、一年の内に待ち望んでいた通りになるように、この覚りに入って仏を顕すまでは長い様に思えても、一生の内に顕して、我が身が三身即一の仏となるのです。
※大聖人は明確に「我身が三身即一の即身成仏となる」と述べておられるのです。


「抑も希に人身をうけ適ま仏法をきけり、然るに法に浅深あり人に高下ありと云へり何なる法を修行してか速に仏になり候べき願くは其の道を聞かんと思ふ、答えて云く家家に尊勝あり国国に高貴あり皆其の君を貴み其の親を崇むといへども豈国王にまさるべきや、爰に知んぬ大小・権実は家家の諍ひなれども一代聖教の中には法華独り勝れたり、是れ頓証菩提の指南・直至道場の車輪なり」(持妙法華問答抄461頁)弘長3年3月 42歳御作 対告衆不明
通解:さて、滅多に無い珍しく人間として生まれ、偶然に仏法の話を聞いたのです。すると法にも浅深があり人にも高下があると説明されています。どの様な法を修行すれば速やかに仏に成る事ができるのでしょうか、其の方法を聞きたいと希望します。答えて云います。家家に尊勝があって国国に高貴があり、皆が其の国の君を貴み其の家の親を崇むといっても、どうして国王に勝るでしょうか。是の例で解るでしょう。仏法の大小・権実は宗家の比較に過ぎないのですが、釈迦の一代聖教の中では法華経が独り勝れているのです。是れが、頓証菩提(速やかに悟りの果である菩提を得ること、即身成仏・直達正観と同意)への指南であり、直至道場(直ちに仏成道の場所に至ること)の車輪(誘導するもの)なのです。
※大聖人は、成仏の方法として、釈迦の一代聖教の中で法華経が独り勝れていると述べられています。


「本より学文し候し事は仏教をきはめて仏になり恩ある人をも・たすけんと思ふ、仏になる道は必ず身命をすつるほどの事ありてこそ仏にはなり候らめと・をしはからる、既に経文のごとく悪口・罵詈・刀杖・瓦礫・数数見擯出と説かれてかかるめに値い候こそ法華経をよむにて候らめと、いよいよ信心もおこり後生もたのもしく候、死して候はば必ず各各をも・たすけたてまつるべし」(佐渡御勘気抄891頁)文永8年10月 50歳御作 円浄房に与う
通解:もともと、学問をしたのは仏教を習い究めて仏に成り、恩ある人をも助けようと思ったからです。仏になる道は、かならず命を捨てるほどの事があってこそ仏に成るでしょう、と推量されるのです。すでに法華経の経文に「この経を弘める者は悪口され、ののしられ、刀で斬られ、杖で打たれ、瓦や小石を投げられ、たびたび所を追われる」と説かれている通り、この様な目にあう事こそ法華経を身に読むことであろうと、いよいよ信心も起こり、後生の事もたのもしい思いなのです。私が死んだならば、必ずあなた方をもお助けするでしょう。
※大聖人御自身も「仏に成る」と確信されています。


「諸経にしては仏になる者も仏になるべからず其の故は法華は仏になりがたき者すら尚仏になりぬ、なりやすき者は云ふにや及ぶと云う道理立ちぬれば法華経をとかれて後は諸経にをもむく一人もあるべからず」(法華経題目抄947頁)文永3年正月 45歳御作 対告衆は念仏信者の女性か
通解:諸経においては仏に成る者でも仏に成る事ができないのです。それに対して法華経は仏に成る事が難しい者でさえもなお仏に成ったのです。ましてや仏に成りやすい者はいうまでもないという道理が成り立てば、法華経が説かれた後は、一切の衆生で、他の諸経を信ずる者は一人もいないのです。
※成仏の道を示されます。


「悪王の正法を破るに邪法の僧等が方人をなして智者を失はん時は師子王の如くなる心をもてる者必ず仏になるべし例せば日蓮が如し、これおごれるにはあらず正法を惜む心の強盛なるべし」(佐渡御書657頁)文永9年3月 51歳御作 門下一同に与う
通解:悪王が正法を滅亡させようとする時、邪法の僧等がこの悪王に味方して、智者を滅ぼそうとする時、師子王の様な心を持つ者が必ず仏に成るのです。例えば日蓮の様にです。これは傲った気持ちからではなく、正法を滅する事を惜しむ心が強いからなのです。
※大聖人は佐渡流罪以後、既に仏の自覚に立たれているのです。


「とてもかくても法華経を強いて説き聞かすべし、信ぜん人は仏になるべし謗ぜん者は毒鼓の縁となつて仏になるべきなり、何にとしても仏の種は法華経より外になきなり」(法華初心成仏抄552頁)建治3年 56歳御作 駿河国岡宮に住む妙法尼に与う
通解:ともかくも法華経を強いて説き聞かせるべきです。信ずる人は仏に成り、謗ずる者は毒鼓の縁となって仏に成るのです。どちらにしても仏の種は、法華経より外にないのです。
※此処に、『創価学会仏』の原理を述べられています。


 

十月十三日銘の御本尊

 投稿者:サム  投稿日:2017年 4月 9日(日)13時25分14秒
  十月十三日銘の御本尊


17世日精上人記の「富士門家中見聞中」には
「日目は嫡弟と云ひ最初奉聞と云ひ旁た抜群の故に褒美として本尊を授与す其の端書に云く『最前上奉の仁、新田郷阿闍梨日目に之れを授与す一が中の一弟子なり、正慶元壬申年十月十三日日興在判』」(日精上人記「富士門家中見聞中」富要集5巻184頁)

48世日量上人記の「富士大石寺明細誌」に
「正慶元壬申年十月十三日 興師又本尊を書して師に与ふ其端書に云はく、最前上奉の仁新田郷阿闍梨日目之を授与す一が中の一弟子なり」(日量上人記「富士大石寺明細誌」富要集5巻327頁)

※「正慶元年十月十三日銘」の曼荼羅が書かれており、大聖人の祥月命日は「十月十三日」であり、日興上人御筆漫荼羅には、「十月十三日銘の曼荼羅」が多い様に思われるがどうか。


「次に本門戒壇の御本尊、寸尺、長四尺七寸五分、横弐尺壱寸七分、厚弐寸弐分御首題御勧請皆金薄入りなり、仏滅後二千二百廿余年等と云云、御端書、右為現当二世造立如件、本門戒壇之、願主弥四郎国重敬白、法華講衆当、弘安二年十月十三日云云、当山に之有り、又之に就て二箇御相承、又興師より日目上人に御遺状当之有り後体の為に之を書きおく者なり」(日因記 「有師物語聴聞抄佳跡上」富要集1巻251頁)

「一、本門戒壇の板大曼荼羅 一幅(中略)弘安二年十月十二日と、末代不朽の為に楠の板に書く厚サ二寸二分竪四尺七寸五分横二尺一寸五分なり」(日量記 「富士大石寺明細誌」 富要集5巻334頁)


※宗門31世日因師(1687-1769年、江戸時代中期)により「楠板曼荼羅」の相貌が明らかにされたが、そこに「弘安二年十月十三日」とあり、宗門が大聖人出世の本懐として広宣する「弘安二年十月十二日」では無いのが不思議である。

そこで、下記に堀日亨上人が纏められた「漫荼羅脇書」より、大石寺本末分では16世法主の御筆曼荼羅までを、それ以外は日興上人だけの御筆曼荼羅を、「漫荼羅脇書」から「十月十三日銘」だけを抽出し、釈尊の生誕日である「四月八日銘」及び「楠板曼荼羅」の御図顕日とされる「十月十二日銘」と比較・検討した。
【No.X】は、柳澤宏道氏の「石山本尊の研究」に記載の座配番号を示す。


一、大石寺本末の分
日興上人御筆漫荼羅
1.弘安十年十月十三日  陸前 上行寺。【No.2】
2.(右下)正応三年十月十三日之を写す日興(十六枚の大幅)(左下)日目に之を授与す、 総本山御座替本尊。【No.3】
3.正応四年十月十三日、平の秀安に之を授与す、陸前 上行寺。【No.4】
4.正応五年十月十三日   同上。
5.正安三年十月十三日、奥州新田卿公弟子了性房日乗に之を授与す、 陸前、妙教寺。
6.正安三年十月十三日、新田三郎(五郎二郎、目師の兄)頼綱日善に之を授与す、同上。
7.嘉元二年十月十三日   同上。(筆者注:総本山)
8.嘉元三年十月十三日   陸前、妙教寺。
9.建治二年卯月八日、甲斐国下山平泉寺尼一円主の為、(後人の加筆)法円主、(後人加筆)延文二年十月十三日水口日信孫作五□(郎)に之を授与す、 総本山蓮蔵坊。
10.延慶二年十月十三日   陸前 上行寺。
11. 延慶二年十月十三日   尾張 興道寺。
12. 正和三年十月十三日   東京常泉寺。
13. 正和三年十月十三日、甲斐国蓮花寺□(前)住僧寂日房弟子式部房父□□□  東京、妙光寺。
14. 文保元年十月十三日   同上。(筆者注:陸前上行寺)
15. 文保元年十月十三日、□□□□□(南条大行)子息左衛門次郎所□□□□、 東京妙縁寺。
16. 元亨元年十月十三日   大阪 蓮華寺。
17. 元徳二年五月一日、八十五、き(紀)しん(新)た(太)いふ(夫)の□□□五郎太夫□子にさづけ(授)たぶ(給)ほん(本)ぞん(尊)なり、(後人加筆)土州幡太吉奈法華堂住侶□□□四事の功を以て授与□□、上野本応寺元徳二年十月十三日、加賀野宮内卿日□(行)に下し与ふ、(後人加筆)□□□日善に之を授与す、(後人加筆)□□□日教に之を授与す。  総本山。
(富要集8巻179-186頁)
(大石寺の興師御筆本尊十月十三日銘 17/79=21.5%)分数は記載総本尊数に対する当該本尊数(以下同様)
四月八日銘 6/79=7.6%、十月十二日銘 0/79=0.0%    当該本尊数/記載総本尊数

三祖日目上人御筆漫荼羅
1.元弘三年十月十三日、日目弟子大学民部阿闍梨日盛に之を授く、 陸前妙教寺。
(富要集8巻188頁)
(大石寺の目師御筆本尊十月十三日銘 1/3=33.3%)
四月八日銘 0/3=0.0%、十月十二日銘 0/3=0.0%

四世日道上人御筆漫荼羅
1.暦応元年戊寅十月十三日、奥州一迫多々次郎為重に之を授与す、 東京常泉寺。
2.暦応元年太才戊寅十月十三日、 陸前 妙教寺。
3.暦応元年十月十三日、奥州一迫三浦河東左近将監□行に之を授与す、 陸前妙円寺。
(富要集8巻189頁)
(大石寺の道師御筆本尊十月十三日銘 3/6=50.0%)
四月八日銘 0/6=0.0%、十月十二日銘 0/6=0.0%

五世日行上人御筆漫荼羅
(富要集8巻189-190頁)
(大石寺の行師御筆本尊十月十三日銘 0/8=0.0%)
四月八日銘 0/8=0.0%、十月十二日銘 0/8=0.0%

六世日時上人御筆漫荼羅
1.桧彫刻大聖人(等身御影裏書)敬白大施主、奥州法華宗僧俗男女、野州法華宗等僧俗男女、武州法華宗等僧俗男女、駿州法華宗等。嘉慶二年太才戊辰十月十三日、願主卿阿闍梨日時在り判、仏師越前法橋快恵在り判。  総本山。
2.応永九年壬午十月十三日、奥州一迫柳目住下慈阿闍梨日達に之を授与す、 陸前妙教寺。
3.応永九年壬午十月十三日、(有師加筆か)奥州一迫柳目住越前阿闍梨日栄に之を授与す、 同上。(筆者注:陸前 妙教寺)
4.応永九年壬午十月十三日、大石寺衆金井日栄に之を授与す、 下野蓮行寺。
(富要集8巻190-191頁)
(大石寺の時師御筆本尊十月十三日銘 4/29=13.8%)
四月八日銘 4/29=13.8%、十月十二日銘 0/29=0.0%

七世日影上人御筆漫荼羅
1.応永廿弐年十月十三日、富士大石寺檀那伊豆国三島住妙恵□、 総本山。
(富要集8巻194頁)
(大石寺の影師御筆本尊十月十三日銘 1/2=50.0%)
四月八日銘 0/2=0.0%、十月十二日銘 0/2=0.0%

九世日有上人御筆漫荼羅
(富要集8巻194-196頁)
(大石寺の有師御筆本尊十月十三日銘 0/22=0.0%)
四月八日銘 0/22=0.0%、十月十二日銘 0/22=0.0%

十二世日鎮上人御筆漫荼羅
(富要集8巻197頁)
(大石寺の鎮師御筆本尊十月十三日銘 0/9=0.0%)
四月八日銘 0/9=0.0%、十月十二日銘 0/9=0.0%

十三世日院上人御筆漫荼羅
(富要集8巻198頁)
(大石寺の院師御筆本尊十月十三日銘 0/5=0.0%)
四月八日銘 0/5=0.0%、十月十二日銘 0/5=0.0%

十四世日主上人御筆漫荼羅
(富要集8巻198-200頁)
(大石寺の院師御筆本尊十月十三日銘 0/11=0.0%)
四月八日銘 2/11=18.2%、十月十二日銘 0/11=0.0%

十五世日昌上人御筆漫荼羅
(富要集8巻200-201頁)
(大石寺の昌師御筆本尊十月十三日銘 0/11=0.0%)
四月八日銘 0/11=0.0%、十月十二日銘 0/11=0.0%

十六世日就上人御筆漫荼羅
(富要集8巻201頁)
(大石寺の就師御筆本尊十月十三日銘 0/1=0.0%)
四月八日銘 0/1=0.0%、十月十二日銘 0/1=0.0%

二、妙本寺久遠寺本末の分
日興上人御筆漫荼羅
1.嘉元三年十月十三日、駿河の国富士上方の庄□□□□□□□□□□、  同上。(筆者注:小泉久遠寺)
2.延慶二年十月十三日、越後の国孫左衛門の妻に之を授与す、  保田妙本寺。
3.正和三年十月十三日   同上。(筆者注:保田妙本寺)
(富要集8巻204-206頁)
(妙本寺久遠寺の興師御筆本尊十月十三日銘 3/13=23.1%)
四月八日銘 0/13=0.0%、十月十二日銘 0/13=0.0%

三、要法寺本末の分
日興上人御筆漫荼羅
1.正和三年十月十三日   松江妙興寺。
2.正中二年十月十三日、正忌日十一月十一日、甲斐の国下山兵庫五郎卅三年、子息又四郎義宗に之を授与す、 出雲妙伝寺。
(富要集8巻208-209頁)
(要法寺の興師御筆本尊十月十三日銘 2/14=14.3%)
四月八日銘 0/14=0.0%、十月十二日銘 0/14=0.0%

四、実成寺の分
日興上人御筆漫荼羅
(富要集8巻210-211頁)
(実成寺の興師御筆本尊十月十三日銘 0/2=0.0%)
四月八日銘 1/2=50.0%、十月十二日銘 0/2=0.0%


五、妙蓮寺の分
日興上人御筆漫荼羅
(富要集8巻211-212頁)
(実成寺の興師御筆本尊十月十三日銘 0/11=0.0%)
四月八日銘 0/11=0.0%、十月十二日銘 0/11=0.0%

六、法華寺の本末の分
日興上人御筆漫荼羅
1.元亨元年十月十三日、甲斐の国秋山孫次郎□(泰)□(忠)□□、 同上。(筆者注:讃岐法華寺)
2.嘉暦三年十月十三日、讃岐の国□□□□上蓮阿闍梨の弟子なり、 同 西山坊。
(富要集8巻213-214頁)
(法華寺の興師御筆本尊十月十三日銘 2/12=16.7%)
四月八日銘 0/12=0.0%、十月十二日銘 0/12=0.0%

七、北山本門寺本末の分
日興上人御筆漫荼羅
1.正応二年十月十三日、周防房に之を授与す、  同上。(筆者注:北山本門寺)
2.徳治二年十月十三日、□□□□二郎和□□□□□、  佐渡世尊寺。
3.正和元年十月十三日    同上。(筆者注:北山本門寺)
4.正和元年十月十三日    同上。(筆者注:北山本門寺)
5.正和三年十月十三日、甲斐の国蓮寺前住僧寂日房弟子式部房父□□□□、 同上。(筆者注:北山本門寺)
6.正和四年十月十三日、石河孫三郎能忠の女□妙円□□、 同上。(筆者注:北山本門寺)
(富要集8巻216-220頁)
(北山本門寺の興師御筆本尊十月十三日銘 6/37=16.2%)
四月八日銘 4/37=10.8%、十月十二日銘 0/37=0.0%


八、西山本門寺の分
日興上人御筆漫荼羅
1.正和三年十月十三日、三十三年の奉為に、(大聖人のなり)、  同上。(筆者注:西山本門寺)
(富要集8巻221頁)
(西山本門寺の興師御筆本尊十月十三日銘 1/4=25.0%)
四月八日銘 0/4=0.0%、十月十二日銘 0/4=0.0%


九、他教団に散在の分
日興上人御筆漫荼羅
1.延慶三年十月十三日、佐渡の国住人和泉五郎□□□、  阿仏妙宣寺。
(富要集8巻223-225頁)
(他教団に散在する興師御筆本尊十月十三日銘 1/16=6.3%)
四月八日銘 0/16=0.0%、十月十二日銘 0/16=0.0%


※結果、日興上人御筆漫荼羅には、「十月十三日銘及び四月八日銘」の曼荼羅が多い事が判り、更に、「四月八日銘」より、「十月十三日銘」が極端に多く存在する事が判明した。
そして、「十月十二日銘」の「歴代法主の書写本尊」は、全く存在していない事が判明した。
この事から、上古の法主の「書写本尊」には「楠板曼荼羅」の相貌が、全く影響しておらず、「楠板曼荼羅」が後世の模作である事が示唆された。
加えて、上記の「正慶元壬申年十月十三日銘」の日興上人御筆曼荼羅を見つける事ができず、現在、存在不明である事が明らかになった。

 

文永元年の紺紙金泥の御本尊

 投稿者:サム  投稿日:2017年 3月27日(月)08時06分5秒
編集済
  文永元年の紺紙金泥の御本尊


1.26世日寛上人の『観心本尊抄文段』より
「佐州免許は文永十一年二月、正しく仏滅後二千二百二十二年に当る。故に或は免許已後これを始めたまうか。救護本尊は佐州免許の年の十二月なり。然りと雖も、文永八年或は文永元年の御本尊これあり云云。更に検えよ。」
(観心本尊抄文段、日寛上人文段集451頁、聖教新聞社 昭和55年3月1日発行)

※免許已前の「文永元年の御本尊」を検証せよ、との遺言あり。


2.『観心本尊抄首日相聞書(岩城妙法沙門覚応日相)』より
「但し文永元年の紺紙金泥の御本尊当山に在り」
(31世日因上人記『観心本尊抄首日相聞書』富要集10巻7頁)

※この時点では、注釈あれど「文永元年の紺紙金泥の御本尊」の存在認める。


3.48世日量上人記の『富士大石寺明細誌』より
「一、同 紺紙金泥の漫荼羅      一幅
傍書に云はく文永元甲子二月十五日 」
(48世日量上人記『富士大石寺明細誌』富要集5巻336頁)

※此処でも「文永元甲子二月十五日の紺紙金泥の漫荼羅」を大聖人直筆と認識されている。
(「同」とは、「蓮祖真筆」の御文の省略)


4.59世日亨上人編集の『第三、漫荼羅脇書等。』(富要集5巻177-226頁)より
此処には「文永元年の紺紙金泥の御本尊」の記載なし。

※日亨上人は「蓮祖真筆」と認めず、記載しなかったのか。


5.大石寺の本尊 (ウキペディア『大石寺』)より
 A. 日蓮真筆の本尊(戒壇大御本尊以外)
  o 弘安3年(1280年)3月の「師資伝授之御本尊」(「紫宸殿御本尊」との異称は誤謬伝と決判されている。)
  o 建治元年(1275年)11月の本尊
  o 弘安3年(1280年)5月9日南之坊開基の少輔公日禅へ授与の御本尊
  o 弘安3年(1280年)11月本門寺重宝の本尊
 B. 日興真筆の本尊
  o 「御座替本尊」(正応3年(1290年)10月13日書写、宝永3年(1706年)6月15日に客殿安置本尊として模刻造立)
  o 「御手続御本尊」(正慶元年(1332年)11月3日書写)
  o 「御筆止御本尊」(正慶2年(1333年)1月27日書写)
  o 嘉元元年(1303年)8月13日書写、第17世日精が之を謹刻・開眼し六壷に安置するところの常住板御本尊(これと全く同じものが品川区・妙光寺本堂に安置されている。)等
 C. その他の本尊
  o 文永11年(1274年)12月の「万年救護本尊」(大講堂安置の常住板御本尊、真筆は保田妙本寺)
  o 御影堂安置の常住板御本尊(年月日不明、日蓮真筆の本尊を第17世日精が謹刻)
  o 五重塔安置の常住板御本尊(31世日因が寛延2年(1749年)2月28日に書写)
  o 三門安置の常住板御本尊(年月日不明、25世日宥が書写)
  o 典礼院安置の常住板御本尊(66世日達が昭和44年(1969年)1月12日に書写)
  o 納骨堂安置の導師板御本尊(67世日顕が平成16年(2004年)10月に書写)
  o 十二角堂安置の御本尊(年月日不明、56世日応が書写)

※現在では、宗門でも『文永元年の紺紙金泥の御本尊』を公に提示していませんが、どうなったのでしょうか。
大聖人に無関係の「御本尊」である事は、歴史的にも明らかなので、仕方なく取り下げたのでしょうが、それでは「楠板本尊」も同様の筈なのです。


 

日寛上人の御指南より

 投稿者:サム  投稿日:2017年 2月 9日(木)10時15分44秒
編集済
  【日寛上人 御指南】

「吾が大聖人は文永十年四月二十五日に当抄を終わり、弘安二年、御年五十八歳の十月十二日に戒壇の本尊を顕わして四年後の弘安五年、御年六十一歳十月の御入滅なり(中略)天台・蓮祖は同じく入滅四年已前に終窮究竟の極説を顕わす、寧ろ不思議に非ずや」
 (聖教新聞社発行「日寛上人文段集」451頁上段18行目より)

此の上記の御文で法華講員さんにお聞きしたのが、下記の質問ですが、全く答えて頂けません。
この場で、大勝利さんの御見解を是非、お聞きしたいのですが、如何でしょうか。

①「御年五十八歳の十月十二日に戒壇の本尊を顕わして四年後の弘安五年、御年六十一歳十月の御入滅なり」の御文を正しいとお考えなのでしょうか。
②「入滅四年已前に終窮究竟の極説」とは、何の事なのでしょうか。
③日寛上人は、「戒壇本尊」と称する「楠板本尊」の御相貌を御存知だったのでしょうか。

以上、大勝利さんの御見解の公表、宜しくお願いします。
 

妙法曼陀羅供養見聞筆記より『仏滅年紀』

 投稿者:サム  投稿日:2016年12月 5日(月)19時12分6秒
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  妙法曼陀羅供養見聞筆記より『仏滅年紀』




日寛上人は、「観心本尊抄文段」での主張とは異なる「仏滅年紀」を主張されていますので、紹介します。


一、仏滅後・二千二百二十余年文(一三〇五頁)


問う、御本尊に或は「二千二百二十余年」とあり、或は「二千二百三十余年」とあり。また御書にもこの両説あり。啓蒙二十巻終に具にこれを挙ぐるなり。この両説の相違は如何。
答う。彼の啓蒙の意に云く、諸御書の「三十」は一点の誤りにて、実には「二十余年」なるべし。御本尊の「三十余年」は、御本意の極を定規として遊ばすなるべし。弘安五年まで二千二百三十一年なりと云云。
周の穆王の四十五年甲子、仏の御歳七十二歳にて法華経を説きたまう。同帝五十二年辛未まで八箇年なり。明年壬申二月十五日に八十歳御入滅なり。仏、神力品を説いて上行菩薩に付嘱したまうことは、穆王の治五十年己巳年、仏の御歳七十七歳の時なり。これによって取れば、弘安元年戊寅まで二千二百三十余年なり。弘安二年より三十余年なり。
                        (聖教新聞社発行『日寛上人文段集』736頁)


現代訳:

問います。御本尊の仏滅年紀に、或は「二千二百二十余年」とあり、或は「二千二百三十余年」とあります。また御書にもこの両説があります。啓蒙二十巻の終には具にこれを挙げています。この両説の相違は何故なのでしょうか。
答えます。彼の啓蒙の大意では、諸御書の「三十」は一点の誤りであって、実は「二十余年」なのです。御本尊に書かれる「三十余年」は、大聖人の御本意の極説を基本として図顕されているのです。弘安五年まで二千二百三十一年であると云うのです。
周の穆王の四十五年甲子の時に、仏(インド応誕生の釈尊)は御歳七十二歳にて法華経を説き始めたのです。それから同帝五十二年辛未まで八箇年かけて説かれたのです。翌年壬申二月十五日に、仏は八十歳で御入滅されたのです。仏が神力品を説いて上行菩薩に付嘱されたのは、穆王の治五十年己巳年、仏の御歳七十七歳の時なのです。これによって解釈すれば、弘安元年戊寅まで二千二百三十余年なのです。弘安二年より仏滅年紀は「三十余年」なのです。



御書「妙法曼陀羅供養事」は、文永10年大聖人52歳の御時に千日尼に与えられたとされています。
此処では、観心本尊抄文段での「法華経の寿量品説法からの起算」ではなく、「法華経の神力品付嘱からの起算」ですが、「弘安元年戊寅まで二千二百三十余年なり」は「弘安元年戊寅は二千二百三十年なり」の誤りなのでしょう。
いずれにしても、此処でも日寛上人は「楠板本尊」の御相貌とは、異なる仏滅年紀を主張されています。
これは、どういう事なのでしょうか。



日寛上人の仏滅年紀諸説



和年号       西暦     釈尊入滅   「寿量品説法」説 「神力品付嘱」説

                (紀元前949年説)

文永8年      (西暦1271年) 仏滅後2220年  仏滅後2224年  仏滅後2223年
文永9年      (西暦1272年) 仏滅後2221年  仏滅後2225年  仏滅後2224年
文永10年     (西暦1273年) 仏滅後2222年  仏滅後2226年  仏滅後2225年
文永11年     (西暦1274年) 仏滅後2223年  仏滅後2227年  仏滅後2226年
文永12年/建治元年 (西暦1275年) 仏滅後2224年  仏滅後2228年  仏滅後2227年
建治2年      (西暦1276年) 仏滅後2225年  仏滅後2229年  仏滅後2228年
建治3年      (西暦1277年) 仏滅後2226年  仏滅後2230年  仏滅後2229年
建治4年/弘安元年 (西暦1278年) 仏滅後2227年  仏滅後2231年  仏滅後2230年
弘安2年      (西暦1279年) 仏滅後2228年  仏滅後2232年  仏滅後2231年
弘安3年      (西暦1280年) 仏滅後2229年  仏滅後2233年  仏滅後2232年
弘安4年      (西暦1281年) 仏滅後2230年  仏滅後2234年  仏滅後2233年
弘安5年      (西暦1282年) 仏滅後2231年  仏滅後2235年  仏滅後2234年

  
 

観心本尊抄文段より『仏滅年紀』

 投稿者:サム  投稿日:2016年12月 5日(月)19時08分3秒
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  観心本尊抄文段より『仏滅年紀』





日寛上人の著書、観心本尊抄文段より法華経の寿量品説法からの起算による『仏滅年紀』を紹介します。



問う、本尊問答抄の啓蒙に云く「諸山代代の多く仏滅後二千二百三十余年と云う。是れ元祖の本意顕れ畢る時を常規とする故なり」と云云。これ則ち弘安五年御入滅の年、正しく二千二百三十余年に当る故なり。若し爾らば弘安四年已前は宗祖の本懐未だ顕れ畢らざるや。
答う、今処々の明文に拠るに、正しく弘安元年已後を以て仏滅後二千二百三十余年というなり。故に弘安元年七月の千日尼抄二十五に云く「仏滅度後すでに二千二百三十余年になり候」と云云。また弘安元年九月の本尊問答抄に云く「仏滅後二千二百三十余年」(趣意)と云云。また第十六四条金吾抄、第十七大陣破抄、また第二十二初心成仏抄等云々。また蒙抄に云く「京の本国寺弘安元年七月の御本尊に二千二百三十余年」と云云。また上総日弁授与の弘安二年四月の御本尊に「二千二百三十余年」と云云。故に知んぬ。弘安元年已後、御本尊即ち顕れ畢ることを。
問う、弘安元年は正しく仏滅後二千二百二十七年に当る。蓮祖何ぞ三十余年というや。
答う、恐らくは深意あらんか。宗祖云く「今此の御本尊は(乃至)寿量品に説き顕し」等云云。然るに寿量品御説法の年より弘安元年に至るまで、正しく二千二百三十一年に当るなり。謂く、如来七十二歳より八箇年の間に二十八品を説く。故に知んぬ、一年に三品半を説きたまうことを。故に七十六の御歳、正しく寿量品を説くなり。而して七十七の御歳、神力品を説いて本化に付嘱して、四年後の八十歳の御入滅なり。如来の御年八十歳、御入滅の年より弘安元年に至るまで二千二百二十七年なり。これに七十六、七、八、九の四年を加うる則は二千二百三十一年と成るなり。故に寿量説法の年よりこれを数えて弘安元年に至るまで、二千二百三十余年というか。故に本尊問答抄に云く「此の御本尊は世尊説きおかせ給いて後二千二百三十余年」と云云。この文深くこれを思うべし。若し余文の中は多分に従う。故に仏滅後というなり。若し本尊問答抄に「説きおかせ給いて後」といい、新池(尼)抄には「寿量品に説き顕し」という、これを思い合すべし。故に弘安元年已後、究竟中の極説なり。

                 (聖教新聞社発行『日寛上人文段集』451-2頁)

現代訳:

①大聖人の「本尊問答抄」(373頁 弘安元年9月御述作)の
「此の御本尊は世尊説きおかせ給いて後二千二百三十余年が間・一閻浮提の内にいまだひろめたる人候はず」
の御文を受けて、
②質問します。本尊問答抄の啓蒙(作者・本文不詳)の「諸山代代の本尊の多くに仏滅後二千二百三十余年とあり、是れは宗祖日蓮大聖人の御本意が顕れた時を基準とするのです」との記述に対して、弘安五年の大聖人御入滅の年が正しく仏滅後二千二百三十余年に相当するのであれば、弘安四年已前は宗祖の本懐は未だ顕れていないのではないか。
③回答します。今、大聖人の御書にある処々の明文によると、正しく弘安元年已後を以て仏滅後二千二百三十余年とあります。 弘安元年七月の千日尼抄二十五には「仏滅度後すでに二千二百三十余年になり候」(千日尼御前御返事1310頁)とあり、弘安元年九月の本尊問答抄には「仏滅後二千二百三十余年」(趣意)とあり、第十六四条金吾抄(四条金吾殿御返事1181頁 弘安元年9月)、第十七大陣破抄(作者・本文不詳)や第二十二初心成仏抄(法華初心成仏抄548頁 建治三年)も同じです。蒙抄に云く「京の本国寺弘安元年七月の御本尊に二千二百三十余年」(不詳)とあり、日弁授与の弘安二年四月の御本尊に「二千二百三十余年」とあります。だから理解すべきなのです。弘安元年已後の御本尊に顕れていることを。
④更に質問します。弘安元年は(『周書異記』の紀元前949年説では)仏滅後二千二百二十七年に当りますが、どうして大聖人は「三十余年」というのでしょうか。
⑤答えます。恐らくは深い意義があるのでしょう。大聖人は「今此の御本尊は(乃至)寿量品に説き顕し」等と云っており、それに寿量品御説法の年より弘安元年に至るまでが、正しく二千二百三十一年に相当します。釈迦七十二歳より八箇年の間に二十八品を説いているので、一年に三品半を説いた事になります。だから七十六の御歳に寿量品を説いているのです。そして七十七の御歳、神力品を説いて本化の菩薩に付嘱して、四年後の八十歳に御入滅されたのです。釈迦の御年八十歳、御入滅の年より弘安元年に至るまで二千二百二十七年になります。これに七十六、七、八、九の四年を加えれば二千二百三十一年となります。故に寿量説法の年よりこれを数えて弘安元年に至るまでで二千二百三十余年というのでしょう。だからこそ、本尊問答抄に「此の御本尊は世尊説きおかせ給いて後二千二百三十余年」と云っているのです。この文を深く考えてください。
⑥もしそうならば、その他の文の文意は多数記載の語句『三十余年』に従わなければならないでしょう。故に「仏滅後二千二百三十余年」というのです。もしそうならば、本尊問答抄に「説きおかせ給いて後」とあり、新池(尼)抄に「寿量品に説き顕し」とありますが、これを考察してみてください。だから、弘安元年已後の「仏滅後二千二百三十余年」が「究竟中の極説」なのです。



上記の文で、日寛上人が、弘安元年已後は「二千二百三十余年」が「究竟中の極説なり」と述べておられる事から、日興上人の「御本尊七箇相承」(富要集1巻32頁)中の「仏滅度後二千二百三十余年」書写説の理論的根拠となっている事は明らかです。

然しながら、弘安二年御図顕とされる「楠板本尊」は、仏滅後二千二百二十余年」となっています。

結局、日寛上人御自身は「楠板本尊」が秘蔵の為に真面に見ておられないか、「楠板本尊」の仏滅年紀が変更されているか、のどちらかなのでしょうね。



 

サムさん

 投稿者:大勝利  投稿日:2016年 8月21日(日)20時24分2秒
  話しは変わりますが、以前に、
御本尊の年月と讃文の一覧をどこかに投稿されたことがありましたね。
さ再度こちらにも投稿してもらうとありがたいですが。
 

サムさん

 投稿者:大勝利  投稿日:2016年 8月21日(日)19時59分10秒
  お久しぶりです。
ほんとにたまたま半年ぶりくらいで掲示板を開いてサムさんの投稿を見ました。凄い偶然。

随分古い投稿の紹介ですね。
サムさんはどの辺が興味深いと感じたのでしょうか?
是非論じてみて下さい。
 

曽存の本門寺大堂本尊が日興カ宛身弘安弐年所給大本尊?

 投稿者:サム  投稿日:2016年 8月20日(土)07時33分11秒
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  曽存の「本門寺大堂本尊」が「日興カ宛身弘安弐年所給大本尊」なのでしょうか。


大勝利さん、お久しぶりです。 お元気でしょうか。
興味深い投稿記事がありましたので、転載・紹介します。


http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/364/1251894673/28
28 :れん:2009/09/08(火) 11:29:36

正中の日代師宛ての日興師置状は、その文献そのものの信憑性の問題で、正中年間には盗難は無く、日順阿闍梨血脈に見える嘉暦の盗難はあったと思います。ただし、万年救護大本尊や本門寺大堂安置の本尊は、日興師時点で紛失した形跡はなく、その後、安房妙本寺・重須本門寺にて、それぞれ継承されているので、嘉暦の盗難で盗難された宗祖御筆本尊は上記を含め程なく見つかり日興師の許に返納されたものと思います。となれば、正中の日代師宛ての日興師置状は、後世日代師門流が、安房妙本寺伝承の万年救護大本尊や重須本門寺伝承の本門寺大堂本尊の所有権を主張するために、偽作した文献である可能性がかなり高いでしょうね。


http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/364/1251894673/29
29 :れん:2009/09/08(火) 11:40:51

なお、参考までに申し上げれば、御伝土代に記述される“日興上人”上人号授与の本尊ですが、安房妙本寺文書と日向定善寺文書により、重須の本門寺大堂本尊であることが分かっています。もっとも、こちらは安土桃山時代の天正年間の日代師門流の西山本門寺を首謀とする重須重宝の強奪後、西山が乱取りに遇い、所謂る、二箇相承原本と伴に紛失しております。


http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/364/1251894673/30
30 :犀角独歩:2009/09/08(火) 11:42:43
れんさん

有り難うございます。
日興授与弘安2年本尊の顛末が、明瞭となりました。


http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/364/1251894673/31
31 :れん:2009/09/11(金) 10:22:32

参考までに、重須の本門寺大堂本尊裏書きに関する史料を提示しておきます。

保田日要師御談・法華本門開目抄聞書
「聖人の御正筆富士におはしますなり。其の御筆に此の本尊は日蓮一期の大事なり、日興上人に授く、血脈の次第は日蓮日興云々」
安房妙本寺文書・本門寺大堂本尊裏書写
「本門寺大堂本尊裏書云、日興上人授、此本尊、日蓮大事也、日蓮在判。日興御自筆裏書云、正中二年十月十三日、日興在判・日妙授与」(千葉県の歴史・資料編中世3の妙本寺文書の一四二号・二四三号・二八一号)
定 善寺文書・日蓮付属状写「釈尊五十年説法、相承白蓮阿闍梨日興、可為身延山久遠寺別当、背在家出家共輩者、可為非法衆、弘安五年十月[ ]日蓮在判、武州 池上。本門寺大堂本尊裏、日興上人授、此本尊、日蓮大事也、日[ ]日興御自筆裏書云、正中二年十月十三日、日興在判・日妙授与」(宮崎県史・定善寺文書 四号・五号)

なお、定善寺文書所収の写本の末尾には「御正本富士日浄所持也」(重須六代日浄師のこと)とあり、重須日浄師の時代、室町中期に写本せられたことが分かります。本門寺大堂本尊裏書は二箇相承と一具に書写されているので、二箇相承はやはり本門寺大堂本尊裏書の「正中二年(中略)日興在 判・日妙授与」の文言とともに、本来、日蓮-日興-日妙の正統を主張する為の文献であることは明らかですね。


http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/364/1251894673/35
れん:2009/09/11(金) 16:35:43
犀角独歩さん

本門寺大堂本尊は、安土桃山時代に紛失してしまい、二箇相承のように、漫荼羅そのものの写本すら残らないので、石山の彫刻のように真偽の鑑別はもはや出来ないのですが、取り敢えずは、日順が摧邪立正抄で引用し、石山日時も御伝土代で触れ、保田日要も日蓮御正筆として疑義を挟まなかった弘安二年・日興授与・上人号本尊(本門寺大堂本尊)が、安土桃山時代に西山に強奪され紛失の憂き目に遇うまでは、重須本門寺に存在したということだけは確かな史実だということですね。


http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/364/1251894673/36
36 :犀角独歩:2009/09/12(土) 14:44:48
れんさん

有り難うございます。「本門寺大堂本尊」はあったということなのですね。
この点につき、特に疑義を挟むつもりはないのですが、それにしても、日代がスポイルされ、さらに紛失に係る記事が偽書である『二箇相承』と共に語られると、読む側としては過敏になりますね。
すでに逸した資料の真偽の見極めを、考証からなすことはなかなか難しいことであると思いました。


http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/364/1251894673/37
37 :れん:2009/09/12(土) 19:03:06
犀角独歩さん

先の投稿で、うっかり引用し忘れておりましたが、重須歴代直筆の古文書では第六代日浄の“日国宛譲状に「譲渡本尊聖教之事/本門寺御堂之御本尊・御棟札・ 御念数已下、如目録無一分も所残常□日国エ寂仙坊日経其外宗徒檀方為証人譲渡処也、門徒一准可被此旨也、仍為後証之状如件/明応三年甲寅九月十三日 日浄 (花押)」

とあり、文中の「本門寺御堂之御本尊」は、やはり、保田妙本寺文書・日向定善寺文書に見える、保田日要が法華本門開目抄聞書で肯定引用した所謂る本門寺大堂本尊と同一のものと思われます。
漫荼羅そのもの、また、裏書が日蓮の真筆か否か、その真偽は、最早、藪の中ですが、少なくとも、重須本門寺で、信仰の中心として、且つ本門寺根源(戒壇?) 安置の本尊として用意していたのが、本門寺大堂本尊=本門寺御堂之御本尊ということでしょう。
こうした室町中期以降の富士日興門流諸本山の思潮が、やがて石山が独自の“戒壇本尊”つまり初代彫刻を作成するに至った下地にあるものと愚考致す次第です。


 

大勝利さんの掲示板ですか

 投稿者:鈴音  投稿日:2016年 4月14日(木)07時40分58秒
  安保と公明党のことで勉強していましたが
最近はどうされていますか?

またいろいろと勉強させてください。
 

代々木本部執行部へ

 投稿者:大勝利  投稿日:2016年 3月 9日(水)22時46分15秒
  代々木本部執行部へ

私から保育園が足りず入園できない「待機児童」の問題提起について、代々木本部のみなさんにご意見申し上げたい。

まず、・その吉良よし子議員、貴女の怒りのほどは荒々しい鼻息からお察し申し上げますが、夫婦ともに党議員で高額所得者であらせられる貴方のような先生が保育園に無理やりねじり込もうとするから、多くの庶民のが入れなくなるのでは?と思います。
多くのママは知っています。
貴女が保育園落ちたの年収1000万超えてるからだと。

保育園落ちたの私だ!と組織的デモを扇動しておられるようですが、保育園設置という地方自治体の責務である保育問題で政府を呪っても金も時間も票は降って来ないでしょう。
「誰が書いたか分からないものを国会で取り上げるな!」
どこの誰かが書いたかも分からない文章に感情移入する前にで、まともな政策議論の国会をお願いします。
山尾、お前もだよ。
 

サムさん

 投稿者:大勝利  投稿日:2015年11月12日(木)21時44分56秒
  ②について、

「大御本尊」という語句表現は、創価学会、日蓮正宗ともに、「弘安二年十月十二日の戒壇之大御本尊」を指します。

保田万年救護は「大本尊」と書かれており、「大御本尊」とはなっていません。
大曼荼羅に関しては多数存在します。

日順の本門心底抄に記述の、「大御本尊」は、弘安二年の戒壇之御本尊の事ではないでしょう。
ご存知とは思いますが、日順は北山本門寺(重須)の学頭ですので。
私見ですが・・・、おそらくは、目連勧請の西山本門寺蔵の真筆32-2番の御本尊

建治二年二月五日
懸本門寺可為 万年重宝也

日興祖父河合入道申与之
大宅氏女嫡子 大法師譲与也
入道孫由五郎入道女 所譲得也
 

サムさん

 投稿者:大勝利  投稿日:2015年11月12日(木)20時20分47秒
  ※①今までに「本門戒壇の本尊と称される楠板本尊」が、「一閻浮提総与の御本尊」であり、その他の大聖人御真筆の御本尊は「一機一縁の御本尊」と宗門では区別していましたが、大聖人の御書からその様な御文は見出せません。
日蓮大聖人の仏法は、一切衆生救済の仏法なのです。 従って、大聖人の御本尊に連なる全ての本尊、「本門の本尊」は強いて言うなれば、「一閻浮提総与」であり、「万機万縁」の御本尊であると推考されます。※

まず貴方は何を仰りたいのさっぱり判らん。
投稿の表題で、「表現について」と題していますが、①の内容は、表現についてを問題にしているのか?
本質として「一機一縁の御本尊」と言いたいのか不明です。

すべての本尊が一閻浮提総与であるなら、「一機一縁の御本尊」は存在しないと言いたいのですか?
それとも、「一機一縁の御本尊」との表現はこれからは使用しないようにしよう。・・と言いたいのですか?

法華初心成仏抄をよくお読みになったらいかがでしょうか?
「「日本一州円機純一にして朝野遠近同く一乗に帰し緇素貴賎悉く成仏を期せん」云云、此の文の心は日本国は京鎌倉筑紫鎮西みちをく遠きも近きも法華一乗の機のみ有りて上も下も貴も賎も持戒も破戒も男も女も皆おしなべて法華経にて成仏すべき国なりと云う文なり」

大聖人は、日本国一同に「強いて」南無妙法蓮華経の五字を弘めよと仰ってるではありませんか?

 

大勝利殿

 投稿者:憂国の武士  投稿日:2015年10月31日(土)16時54分34秒
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  ?


 

「一閻浮提総与」と「大御本尊」

 投稿者:サム  投稿日:2015年10月30日(金)22時00分2秒
編集済
  「一閻浮提総与」と「大御本尊」との表現について

「弘安2年10月12日に御図顕され本門戒壇の本尊と称される楠板本尊」が後世模作であると判明した現在でも、私は、「御本尊への報恩感謝」のご祈念文の中での
「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊に南無し奉り、報恩感謝申し上げます。」
は、全く変更する必要は無いと考えています。

①今までに「本門戒壇の本尊と称される楠板本尊」が、「一閻浮提総与の御本尊」であり、その他の大聖人御真筆の御本尊は「一機一縁の御本尊」と宗門では区別していましたが、大聖人の御書からその様な御文は見出せません。
日蓮大聖人の仏法は、一切衆生救済の仏法なのです。 従って、大聖人の御本尊に連なる全ての本尊、「本門の本尊」は強いて言うなれば、「一閻浮提総与」であり、「万機万縁」の御本尊であると推考されます。

②次に「大御本尊」の「大」とは、対象物の物理的大きさだけを言うのではなく、その事象を讃嘆する場合にも用いられるのが通常です。

だから、当然ながら、保田妙本寺蔵の大聖人御真筆の万年救護本尊の讃文には以下の様に「此の大本尊」と明確に書かれています。
「大覺世尊御入滅後經歴二千二百二十余年雖尓月漢日三ケ国之間未有此大本尊或知不弘之或不知之
我慈父以佛智隠留之爲末代殘之後五百歳之時上行菩薩出現於世始弘宣之」

上古の上人方も同様に使われているのです。

日順上人記、本門心底抄では、
「大聖云はく既に諸仏の本意を覚って早く出離の大要を得たり・其れ実には妙法蓮華経是れなり、又云はく・仏滅度後二千二百三十余年の間・一閻浮提の内未曾有の大曼荼羅なり、朝には低頭合掌し・夕には端坐思惟し・謹んで末法弘通の大御本尊の功徳を勘ふるに、竪に十界互具現前し・横に三諦相続明白なり」(富要集2巻31頁2行)

堀日亨上人の著書にも「大本尊」と明記されています。
「故阿仏房の法花経の信にあらわれさせ給ひて北海の惣導師に遊ばし大本尊賜はり候とうけ」(富要宗8巻146頁)


従って、繰り返しますが、我々の勤行要典にあるご祈念文、
「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊に南無し奉り、報恩感謝申し上げます。」
は、全く変更する理由は無いと考えます。


 

(無題)

 投稿者:テスト  投稿日:2015年10月27日(火)22時40分36秒
編集済
  テスト

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